5月の梅雨

5月の梅雨

この3日ほど実家に帰っていたが、3日とも父親の通院する病院へ送迎をした。
眼科、内科、心臓科、たまたま日にちがそうなったのだろうが…
私には「パブロンは肝臓を痛めるから常用しない方がいい。」などと言い、アリナミンの瓶をくれるが、自分は医者が処方した薬を毎日20錠は飲んでいる。

足腰も弱り数十メートル先の公園までを一回だけ散歩するのがやっとだ。その昔、家族で登山旅行をしていた頃はいつも先頭だった父なのに。
もう自宅の3階にある屋上庭園には暫く行ってないようだ。
植物の世話は母親の係になってしまい母親からは「できないならやめたら?」とまで言われている。
おかげで100鉢以上あった皐月盆栽も今では6鉢しか残っていない。
最盛期は皐月棚が足りなくて毎日の水やりに1時間以上かかっていた。
五月晴れの元で「この辺りではウチが一番だね」と、父と語り合った日々が懐かしい。

父はまだ夫婦で家にいれるからまだいい。
それができなくなってしまって私の勤めているような施設に世話になるようでは不憫だ。
私の勤める施設も例外ではないが、およそ世間の人々が想像する優しい介護人に見守られながら安心して余生を送る終の住処とは違う。
門番や刑務官といった方が当てはまる。
父にその話をすると「なら優しくしてやれよ、良いことも少なかった人たちなのだろうから最期くらいはな。」と言う。

まあ心配ないぜ、俺はどんな事があっても両親の最期の面倒は見るつもりさ。
それが親不孝の愚息ができるせめてもの恩返しであると思っている。
だからその時までは俺も生きていたいものだが、その後の予定は全くの白紙でもある。