矢吹10

矢吹薫 10

やや過剰ぎみに書いたが人とはそういう生き物だと、良い面悪い面合わせて、あなたのよく知っている友人家族でさえ、あなたの知らない一面を持っているのだと書きたかっただけだ。目の前にいる相手は自分が思っているより意外性があり、それは演じているのかもしれないし、演じている事に本人さえ気付いていないのかもしれないのだ。

それが人間という生き物であるとの前提で俺は人を観てる。従ってこの続きもそれを前提とする。ちょっと長くなったがこれを前置きとしたい。

一歩手前の話
高齢者というとまるで別の生き物であるように錯覚している者がいるようだ。
弱々しくて、優しくて、何もかも笑って許してくれて、物事を良く分かってくれて、みたいに。だから感謝の意も含め尊愛しなくてはならないんだよと。
それは大きな勘違いだと言っておく、そうした人も中にはいるだろうが、概ねは我々現役世代と何も変わらない。体は衰えていくから生活態度も変化するが、心の方は変わってない。
欲が削ぎ落とされ、一般的に想像する物語にでてくるような老人像を思い浮かべるかもしれないがあれは虚像だ。老人然とした風貌や物言いをしているだけで、何故そうなのかと言えば高齢故に己の限界を悟り、次の世代に譲り自分は引退した身であると主張する一種の防衛本能であり、或いは我慢を演じているのだ。

考えてもみろ、我々がいつから
「そうじゃの~、そうですの~」という言葉を使うようになるか。
それはきっと、我々の抗うことのできない若い力が目の前にあったときだろう、そして自分は老いを実感しているときだろう。