矢吹 11

矢吹 11

面白い小話がある。
二人の老夫婦の旅先での話、その宿は数十年前に新婚旅行で二人の初夜をむかえた部屋。
若かった二人は、これから夫婦になるのだからその証に、今日は二人とも裸でご飯をたべようとなった事があったそうだ。
それを懐かしみ、あの時と同じように二人の老夫婦は、今回もこの懐かしい部屋で裸でご飯を食べる事にしたそうだ。
料理が運ばれてくると、二人は裸で向き合い御膳の前に座った。
バアさんが言う
「懐かしいですねおじいさん、私はあの頃を思うと思いが込み上げてなんだか胸があつくなってきましたよ。」
それを聞いたジイさんは、
「バアさんや、おっぱいの先が味噌汁の中に入ってるぞ。」

この小話には注目すべき点がいくつかある。
1、バアさんの胸が汁に浸っても気づかないように、老人は感覚が鈍ってしまうこと。この話はあまり大袈裟な話ではない。この例であれば熱さを我慢する忍耐力ではなく、温度を感知する感覚が鈍くなったと言える。即ち同じように自身の立場への危機も感じられなくなるのだ。
引退してもいい、そうであっても嫌だとは感じなくなるのだ。

2、昔を懐かしんであの頃のように。
そう、もし若ければこうしたい、ああしたいという欲。現実を受け入れて仕方なく老人然としているが、体が金が権力があるなら、それにしがみついていたいという欲は生涯残るのだ。
それは歴史が証明してる。老後の面倒をみてくれるだけの金か次世代かの託せる確約でもあれば別だが、そうでない者は秀吉、家康にしろ始皇帝にしろ同じだった。