矢吹12

矢吹薫 12

同窓会があったとしよう。
卒業してから何十年も経った仲間と会いお互いに会話も弾むだろう。
そんな時の内容や口調は?
その頃と殆ど変わってないのではないか?いい歳をした男女が若者言葉で喋ってないか?
これが帰巣本能と言えるかどうかは疑問だが、人は懐かしい元の場所へ戻ろうとする性質を持っている。現実はよく分かっているのに何故か過ぎ去った遠い過去に魅かれるという傾向があるように思う。
その欲は終生変わらないだろうと思うし、そうであるならば老境に至ってもそれは変わらないはずだ。
歳を重ねてしまった現実は仕方ないから我慢する事も必然ではあるが、それでも尚、そうした気持ちが消滅してしまう事はないのだと思う。知らない老人ばかりが集められたような施設の中に暮らして、果たしてその生活に満足し幸せを感じているだろうか?そこが終の棲家と言われ、そこで静かに枯れ果てたいと思うだろうか?

我慢をしているのだ。と思う。

その我慢は若い頃のような強烈な苦痛を伴うようなものではないにしろ、微かな願いのようなものではなくもっと確かな欲として。

「冥土の土産に・・したい」
という言葉はそういった老人たちの常套句だ。
だがその願いが叶ったところですぐに息を引き取る訳でもなく、また叶ったところで聖者のような無欲無心の境地になれるものでもない。
最後に酒を飲みたいと思う者に飲ませたところで、その者は翌日もまた酒を飲みたいと思うだろう。
欲とはそうしたもので、欲を叶えてやるという行為は叶えてやった側のエゴでもあるし、欲と人間にそうした特性があるのなら欲を上手く利用しようとの考えも浮かぶ。