帰巣本能
阿修羅7、帰巣本能
Aさんは埼玉の地元では大地主であり、父も地元の名士だったらしい。
Bさんは長野松本城の城郭内に勤務する建物があったらしい。
Cさんは山形県権現堂の出身らしい。
Dさんはいつも家族を探している。
Eさんは買い物に行こうとしたり家族の家事が忙しいようだ。
Fさんは家族のことは喋ろうとしないが将棋好きだ。
Gさんは僅かに残存能力があるが、自分では歯磨きもできない。
H,I,Jさんは意思表示はするが会話をすることはできない。
・
A〜Fまでの方々とは私も会話をする事が出来るが、普通の会話ではない。
特別養護老人ホームへ入所している方々なのだから、同じテープを
毎回再生しているような会話である。ときどき会話が先へ進むこと
もあるが、また元へ戻るの繰り返しである。
それぞれに人生があったのだろうが、その共通点は家族や地元の事
を伝えようとしている事だ。他の事はまるで知らないかのように話題
になることは少ない。
あらゆる欲がそぎ落とされている方々なのである。
生きてゆく必要最小限の欲以外は殆ど失われている、残っているのは
帰巣本能という欲だけなのである。
・
毎日施設の中で同じ景色を眺め、ある人はここが何所か自分が誰かも
分からず、ある人は知らないホテルに宿泊していると思っている。
そういった方々には、毎日何も変わらない生活がいいのかもしれない。
夏祭りなど季節のイベントなど必要ないかもしれない。
イベントがあったとしても、それを覚えてないのかもしれない。
イベントは主催側の自己満足や家族向けのアピールかもしれない。
・
訪れる家族も少なく、設備こそ立派であり生活を手助けしている職員
も立派であるが、やはり現代の姥捨て山である事は否めない。
自分が暮らしてきた家や家族と共に、もう一度一緒に暮らす事もない。
この施設が方々の、終の棲家であり人生の最後に巡り合う人達なのだ。
そんな可哀想な方々でさえ、家族や故郷の話を熱心にする。
・
「せめてもう一度だけ、元気なうちに故郷を見せてやりたい」
そう思うのは私の自己満足だろうか?
たぶん、ここの施設からの景色以外を見る可能性とすれば、搬送される
車の車内か病院の景色とその天井だけだろう。或いはその時はもう意識
もないかもしれないのだ。
・
外出なんてとんでもない!・・・か。
そう、外は危険がいっぱい、ちょっとした感染も命取りだよな。
それでは故郷の風景を、家の近所の風景をビデオで撮ってきてやれば?
そんな経費どこから捻出するんですか?!・・・か。
確かにそうだよな、「出来ない」とするための言い訳もご立派だよな。
従来の「出来ない」を「やろう!」にする意識革命が仕事じゃないのか?
それを求められているのではないのか?
・
PCの苦手な私でも、グーグルのマップくらいは見れる。
そういった方法だってあるんじゃないか?
会話が繰り返しだからって、感情や帰巣本能は残ってるんだぞ!
・
これは実際にあった話だ。
実習3日目に、あの殆ど動かない表情も変わらない、便意の意思表示も
滅多にすることのないと言われているGさんが、私に向かって私のフル
ネームで3回も呼びかけてきた。「沖本猛さんですね」って。
一瞬、ユニット内がシーンとなった。
私も初めは何が起こったか分からなかった、
(Gさんには悪いが私はGさんは喋れない方だと思っていたんだ。)
そこで私が、「そうですよ、珍しい苗字でしょ」って
Gさんの耳の傍で応えると、Gさんはにっこり笑った。
・
私が言いたいのは、実習生の私が3日目にしてGさんに声を掛けられたって
事ではない。知らない他人に喋りかける人など滅多にいない、私の実習の
初日の初っ端の仕事はGさんの排泄介助の補助であった。その後3日のうち
にGさんの介助に関わる行為を何度かやっていた、だから声を掛けられたの
が3日目では遅いくらいだと自分では思ってる。
私が言いたいのは、Gさんぐらいの介護度数の人でも人を認識したり、会話
をしようとする意思があるのだから、Gさんより介護度数の少ない皆さんは
もっとその気持ちがあるわけであり、望郷の思いがあるからそれを再々口に
するのだろう。
それなら、そういった思いの一かけらだけでも叶えてあげたいと思うのだ。
それがしてやれない自分が情けなく、毎日同じ会話のお相手をするだけの
自分が仕事をしてないように思ってしまうのだ。
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172691(114) H22 9月17日 PM21時50分