神と運

神と運

戸外でビスケットを1枚食べたとしよう。
そのとき、目にも見えない程の小さなカケラが地面に落ちたとしよう。
その小さなカケラがたまたま蟻の巣の中に落ちたとしよう。
ビスケットのカケラなど人間からは関心もないが、蟻にとっては幸運であった。そのときカケラを落とした人は蟻にとり幸運の神だったのでしょが、そのような運の作用はいつでもどこでも起こっています。

大きな銀河の中でほんの少し軌道を逸れた小天体が地球にぶつかっただけで、地上の生態系はどうなってしまったか。それは不運だったのか幸運だったのかどうなのか。
当時の生き物には不運だったでしょうが、その後の生き物にとってはビッグチャンスだった訳ですね。

一生の中で、一つの精子卵子に辿り着く確率は?
多くの精子の中には自分よりも優秀なのも多数あったろう。
その多くの同朋を出し抜き生を得る確率たるや、全地球の人口の中でたった1人選ばれる確率さえも遥かに凌駕する。
その確率を達成したのが我々一人一人です。

ですから我々は生まれながらにして強運なのです。
そして、そうやって強運の元に生まれてきた同士が、生き抜く為に更に運を競うのが生きるという事だ。
だから生きていく上での努力や知恵のようなものが重宝され、運頼りは愚であるみたいな風潮があるが実は強運こそが最強であると考えるのです。

私は無神論者なのです。
ですが信仰はあるのです。
多神教のようなもので、いわゆる神のような心は幾つも自分の心の中にあり、その心を育てるのは自分自身であるという考えです。
古今東西どんな時代にも色々な神は存在します、つまり自分にとり良い神ばかりではないという事です。
神が救ってくれるのではなく、自分を助けてくれる者こそ神という考えです。
今で言うなら、親族友人仕事仲間、自分を支えてくれる人たちがそうで、その人たちも時々によって良い神悪い神になるわけでして。

そうした人たちをどのように作用させられるかは、自分の努力や知恵といった能力でもあり、その能力を持っているかどうかは自分の持って生まれた性格の運によるものが大きいと思うのです。

そこで登場する言葉が、
「全ては自分の決断の結果である、他人のせいではない。」というものです。
そこまで解っていながら判断ミスや失敗を繰り返し、それを補い庇い合えるのもまた人間の絆です。
「迷惑をかけ、迷惑をかけられながら、悩み成長してゆくのが人生」
と、教わった事もあります。

人間は不完全な生き物ですからね、これからもコロナの他にも色々あるでしょうが何とかやってゆきましょう。
皆さんは生まれながらにして強運の神。
私を支えてくれる神々です。
私も皆さんにとり、そうでありたいと思っております。