火
「火」とは何か?そう尋ねられれば色々な答えがあるだろう。
人類の英知、生活に必要なもの、宗教家であるなら「神からあたえられた・・」
ささみならこう言うかも「火って?沖ちゃんタバコ吸うときつかうじゃん」。
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「料理」とは何か?これも様々な言い方があり様々な答え方があるだろう。
ヤフーやグーグルなどの検索サイトにも、それらしいことは書かれている。
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火とは「光と熱を発する急激な酸化作用」であり、料理とは「修業を積んだ
調理人が全知全能をかけて作るもの」である。
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今日こんな書き出しをしたのには訳がある、「火、料理」などは一見説明が難しいよう
にも思えるが、誰にも納得できる明確な答えがそれらにはある。
では、「必要悪」とは何か?と尋ねられれば何と答える?
ヤフーでは「 道徳的・法的に悪であるが、それが存在しないとより大きな無法状態や
混乱を招いてしまうために超法規または見て見ぬ振りで存在を許されている人・物事・
物体」となっている。
でも本当にそうだろうか?それで誰もが納得できる答えと言えるだろうか?
パチンコ、競艇、競馬、競輪、それらをしたことのある人、それに関わる人たちが全て
法的道徳的に悪であるのか?
AVを買っただけで、売っただけで見ただけで、それでも悪か?
風俗で働けば遊べば、それだけで悪か?
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つまり必要悪と区分されて差別されているモノはあるが、「必要悪とは何か」という質
問に対し明確な答えというものは存在しないのだ。
そこに私は翻弄されるのである、ある意味では親切心でまたある意味では熱心さで、悪
くいえば欲もあり、偽善もあり・・・
そう、その時の立場により相手により、カメレオンのようにコロコロと心を変えざるを
おえない。そんな一貫性の無い自分が死ぬほど嫌いなのです。
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古井戸を子供が探検しようとすれば、危険だから親なら必ず止めようとするだろう。でも
その古井戸は子供にとっては魅力的で、もしかしたら宝物でもあるような気がする。そん
な古井戸のような存在が必要悪であり、私はそこの住人なのです。この世界に勝利したと
いえる者があるとすれば、それは財産を残した者か経験を活かせた者でしょう。
私は財産は残せなかった、だけど経験は活かそうと思っている。か弱いもの迷えるものを
正しい道へ導くことこそ真の指導者であり人である筈です。私がやってきた事は、これか
らもやろうとしている事は、それらの正反対の事。
その重大さに気付かなかったり、またあくまで正しいと思ってやっている分には罪は軽い
ものですが、私の場合は確信犯なのです。だから私がこの世界にいるうちは自分を責めつ
つもカルマを重ねてゆくだろう。だからこのまま朽ち果てていければ楽かもしれない、最
近は特にそう思ったりもする。だが転機が訪れ、全く違った生き方が出来るかもしれない。
検事が弁護士へ華麗なる転身をするように、私にもまったく違った生き方ができるかもし
れない。それがこの必要悪の世界でなくてもいい、例えば百姓のように「一生懸命」汗水
たらし心を込めて作った作物を消費者が「旨い」と思って食べる。そんな一貫性のある感
謝され充実できる仕事ができればと思ってる。
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こうやって「悩み成長していくのが人間だ」と、ある恩師は教えてくれた。
「自分に自然に生きるのは難しい」と、ある高僧も言っている。
確かにそのとうりだ、こうして悩むべき状況にあるのも自分が作り上げた境遇も全て自分
の選択の結果なのだ。
また、こうして悩んでいる姿こそ私の自然な姿?なのかもしれない。養殖された魚がどんな
に大きくなろうとも最後は殺されてしまうように、私も中途半端な良心をくすぶらせながら、
自責の念を持ち続けて生きてゆくのが生まれながらの運命なのかもしれない。
そうであっては欲しくない、だから雑草根性でもがいてみせるつもりだ。
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「運命」に、より近い選択をしてきた自分ではあるが、それを「打破」するのも自分しかい
ないと解っているから。
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147852 H21 10月6日 PM10時50分