2〜5日分

躍動する夏季から静寂の冬季へ移行するこの時期。
夏の残骸も随所に見られ、冬の台頭を肌で禁じ得ない。
お別れと出合いが交錯し、とてもカオスな面持ちの季節が秋の良いところ。
美味しい食べ物や、大きなイベントに追われているうちにあっという間に年末です。
今年もいよいよ後半戦です、皆様ラストスパートの準備は大丈夫でしょうか?
年末を一気に駆け抜けて、新しい年へ臨みましょう。
人ってのは判らんもの、判らないから人。

いつまで仮面を被っているつもりなのか、人なんてものは神にもなれるが同時に鬼でもある。

あの人がまさか?!なんて思っちゃいけないよ、人は皆、心の中に刃を隠し持っている。慈愛溢れる神々しい心も持っている。

神様然としていた奴も、神輿を下りればただの人。
コジキみたいな私だって、時と場合によっては神のように崇められる事もある(笑)

神が人になったからと言ってそれがどうした?
やっと仮面を外す気になったか、やっと本音を出してきたか遅いけどまあいいかって感じ。

そこでもう終わりって訳ではないのだろ?
あんたが仮面を外すのが遅かっただけだろ?
こっちは待ちくたびれたぜ。

もう終わりって事ならそれでもいいが、そんなにつまらん奴だったのか?と、言いたくなるぜ。

つまらん奴だったと忘れられるか、ここからが本音の付き合いか。
どちらを選ぶかはあなた次第だよ。

あの天下人秀吉の懐刀と言われた三成でさえ、
「人の心、計りがたし」と言ってるじゃないか。

私のような凡人には到底人なんて判りはしない。
勘もあるが相手の振る舞いを信じるしかないんだよ。
私も信じてもらう以外ないって事。

と、いうことで
自分に素直に正直に生きたいものですね。

部屋の中を見渡して、テーブルを隔てた向かいにソファーが一つある。

これしか見えないのが人間です。

でも、よく注意して見てみるとテーブルの上には雑物もあります。

もっとよく注意して観察してみて、

テーブルとソファーの間には目に見えない空気などの物質が浮遊してる。
想像を働かせれば、ソファーに座った人や、その人との様々な人間ドラマが駆け巡る。

そういったものです。
あなたが探しているものは、あなたの目に映ってないだけです。

ちょっとした切っ掛けで案外探している答えはでてくるもの。
探したい、そうしたい、と思う気持ちが大事だよ。

諦めたら全てはそこで終わる、永遠に探し物は出てこないよ。
足掻き、探し、求め続けなさい。

あなたが探しているものより、もっといいものと出合うかもよ。
それがあなたの探していた最上級の答えなのかもしれないよ。

私は無神論者、天国も地獄もありはしない、あるとするなら心の中にあると思ってる。

ごちそうさま、いただきます、盆暮れや年中行事、その他挨拶は慣習であり礼儀であるから行うのであり魂の救いや神にすがりたい訳ではない。

こんな私ではあるが科学で証明されない不可思議なもののひとつに「念」はあると信じてる。

「念」の使い方は分からない、たまたまの偶然かもしれないが、念じたことによる偶然は何度か経験している。

ある日のことだった。
その日は朝からスケジュールが忙しく時間の割り振りが大変だった。
やっとやりくりをして夕方の5時に、その人と会う段取りをした。
ところがその人は待ち合わせ場所には来なかった、連絡もつかない。

私は朝から忙しかったせいもあり、その人が連絡ひとつしてこないことに激怒していた。

結局その人からは連絡もなく私は帰宅することになる。
帰宅してからはTVを観ながら妻や子供と過ごすのだが、妻がその日に限って妙な質問をしてきたのだ。


「アンタ今日の夕方何してたの?」と。

私は仕事は家庭には持ち込まないようにしてた。
私がどんな仕事かは知っているが、人間関係や仕事の内容は殆ど話したことがなかった。

だから妙な事を聞くなと思い、営業してたよと答えただけだったが妻は心配そうに

「何もなかった?」と、聞く。

妻の言によれば、夕方の5時くらいに、急に私の顔が浮かんだ、浮かんだというより目の前に現れたに近い感覚でその私の顔がひどく怒っおり妻を睨みつけていたという。

まるでオカルトの世界みたいだなと私は笑ったが、夕方5時といえば・・・

もうお分かりと思うが、私は妻に「念」を飛ばしてしまったのだ。

そんな様な偶然はこの例だけではない。
相手の念を受け取るというのか、根拠もないのに妙な勘が冴えるというのか、よくある。

惜しむべくは、良いことはなく悪いことばかり。

良いことに対する念を利かせられれば良いんだけどなと思う。
毎回宝クジを買うのだが(笑)

生きるという事を考える事がよくある。

持病の影響でそういった心境に陥り易い私はこうして白紙の画面に語りかける事が多い。

楽観的な希望的観測な事柄やくだらない事はいくらでも簡単に書けるものだが、そうでない心の奥底で心底思い描いているものとなると、なかなか吐露しずらいものだ。
私がこうして表現しようと悩み続けるものとは一体何なのだろうか?
日常のアレンジ風物語?哲学?人間学?それとも狂人の独りよがり?
自分が何をしようとしてるか、得体の知れない何かに動かされているような気持ちになる事がよくある。

と、まあこんな感じで難しい自分との対話が何時間も続いてしまうのでこっちの自分とはあまり付き合いたくない。
多分私は多重人格のような複雑な部分があるのだろうな。
そういった自分をたまにこうやって表に引っ張りだしてバラさないと、一人で抱え込んでいると気が狂いそうになる。
誰かに助けを求めているのか、私に触れるなと思っているのか、それも分からない。
その根元が何なのか、過去の蓄積なのかそれとも現在のストレスがそういった感情をフラッシュバックさせているのか、それも分からない。

つまり、生きていていいのか?という疑問を真剣に考えることがよくある。
死にたいわけではない、生きるのであればもっと生きるべくして生きたい。生かされているような養殖場のような人生なら生きたくないと思っているだけだ。
もっと意義のある、もっと楽しく満足のできる人生を望んでいるがどうなのだろう?
人生の時間を半分以上使って尚志半ばの者はどう考えているのだろう、こんな事を考えるのは自分だけなのだろうか?