鉄は熱いうちに打て

弟と二人で真鶴へ行く、出発が昼過ぎと遅かったので真鶴に到着したのが夕刻だった。
あいにくの風で海は荒れており、ウキの当りが分らない状態であったが、なんとか2
人で10匹ほど釣り上げた。本命の「メジナ」は1匹も上がらず、「海タナゴ」だけの
釣果だった。
釣りをしながら私は昨日の晩の出来事を回想していた。
昨日のPM9時ごろ、実家へ帰っていたユキコから連絡があったのだ。
ユキコは一方的に、これ以上迷惑を掛けたくないので、東京での生活をやめたいと言
うのである。やっと面接で採用されたコンビニも、紹介してやった風俗の仕事も辞め
て、地元で自立した生活をしたいと言うのである。私は(またか)と思ったが、彼女
が本当にそう望むのであれば仕方ないと思い訳を聞いてみた、今まで地元ではどうし
ようもない環境だったから東京で自立の資金を貯めようとしていた矢先だったからで
ある。良く考えるように言い含め、一時間後に答えを聞くことにして電話を切った。
一時間後、電話をしたが彼女は電話に出なかった、代わりに彼女の叔父と名乗る人が
電話口に出て対応した、叔父によれば彼女の意思は堅いそうで、今度こそは松山千春
の「恋」状態である事を私は悟った。 私は特に反対はしなかった、もっと早く彼女
が悩んでいるうちに親戚は彼女を救うべきだったとも、自立に目覚めたごく普通の女
の子らしい感覚であるとも思えたからだった。今回は以前のように感情に任せて飛び
出したわけではない、親戚が出てきたと言う事は事前に相談がなされていたという事
である、そしてその相談は彼女の意向に沿ったものであったのだろう、ならば私はそ
の意思を尊重すべきであるのだ。 今回は彼女の「発症による思いつき」でない事は
私も理解している、何故なら北海道旅行の土産を彼女に渡した時、彼女が感激のあま
り泣き出し「有難うございます、私プレゼントなんて貰った事なかったの」そして
「先生は何も知らずに旅行に行っていたのに・・・」と、その場にそぐわぬ一言を言
った言葉を私は聞き逃してはいなかった。だから何か企んでる事も私は承知していた。
この日が、近い将来くる事も予想内であった、だが「ちょっと早かったな」という
思いはある。
今後、ユキコの話をこの日記で現在進行形で書くことはないだろう、もう幼児プレー
も出来ないと思うと寂しい。明日からは、靴下も自分で履こう。
釣りの帰り道、本当ならユキコを連れて来てやる筈だったが、もうしてやれないと思
うと、何ともやり切れない後悔の念があった。いつも私は、終わったあとに後悔して
しまう、これから出会う子には後悔がなきようしてみたいものだ。
43986                      PM9時45分