私は逃げていた

雪の降りそうな寒い一日だった。
1週間ぶりに、ロイヤルへ顔を出してみた。ロイヤルではDVD等の
AV作品の販売(業界用語で物販)を縮小するという事で、出入り業者
である制作監督の私も、もうほとんど用済みの状態にある。お世話に
なって約一年、ここで作品を世に出すまでの工程と業界の流れを勉強
させて貰った。元々ビデ倫加盟社であるロイヤルには、際立ったカラー
のある作品がなかった、そこで私を起用することにより 今までにない
作風を導入し、会社を活性化させるのが目的だった。私も損得を考えず
意気込んでやってみたが、たいした功績もあげられず力不足だった、お
世話になったロイヤルに心苦しく思っている。
反省すべき点は数あるが、自分自身の反省点を記してみる。
先ずこの日記だ、この日記はロイヤルアートのトップページにリンク
されていた。目的は性格異常者である「沖本猛」の異常な精神状態を
つぶさに書き、宣伝し、こんな奴が制作した作品はどんだけ狂った作品
なのだろう?と、思わせる為であった。ところが私には狂った男を書く
事が出来なかった、私が本当に狂っていたのは2〜3年前でありビデ倫
に新作の審査を審査拒否をされた頃であった、ロイヤルにお世話になる
頃は自分で言うのも変だが、マトモだったと思う。だから日記もそれほ
ど「異常者のそれ」ではなかったのだ、そこが反省点である、どこまで
も異常者のフリをすれば良かったのかもしれない、ただ私的には何度も
逮捕され、前科3犯の人間が「本物に見える物」を作ってしまっては、
また審査拒否される恐れがあった、そうなっては作品が世に出ないし会
社にも迷惑を掛けてしまうと考えたのだ、それ故あえてバラシのシーン
を入れた作品を作ったりもした。今にして思えば、その姿勢そのものが
「逃げ」だったのではないかと反省している。悪役は悪役に徹するとい
うセオリーも気に入らなかった、「異常者沖本」のファンを裏切る奇抜
な作品を作りたかった、ファンを裏切る作風が私の作風だと信じ制作し
てきたが、どうやら認められなかったようだ。水戸黄門が「いい爺さん」
なのはテレビの中だけであるように、私も裸の表現として人間の真の姿
を表現したかったが、AVでそれを主張しようとしたのが愚かだった。
無念だ 言いようの無い情けなさに包まれている、だが私はこの業界を
直ぐには去るつもりはない、この反省を踏まえ自分を進歩させてやる。
誰もが出来なかった事を必ず、いつか、絶対に。
私は今、心で泣いている 自分の力の無さに泣いている
一日の終わりが、これではいけない 最後に好きな言葉でも書こう。

 一 夢 のある者には希望がある
 一 希望のある者には目標がある
 一 目標のある者には計画がある
 一 計画のある者には行動がある
 一 行動のある者には実績がある
 一 実績のある者には反省がある
 一 反省のある者には進歩がある
 一 進歩のある者には 夢がある         PM11時5分