新作への挑戦

血が騒ぐのだろうか、早朝から目覚めてしまう。
すっかり忘れていたが今日は東京スポーツの取材だった。
撮影のノルマを気にしすぎて、カレンダーを見たら取材の
約束が今日である事に気が付いた。
東京スポーツの記者M氏がもう少ししたら来る予定。
M氏だけでなく他の記者にもよく言われるのだが
「沖本監督という人が良く分らない」と、言われる事が多い。
考えてもみれば当然である、私は2年前まではプロダクショ
ンの人間としての色合いが強く、当時精神病に病んでおり、
気違い風な要素を多分に含んでいた、その延長線で制作業を
始めたので、当時の作品はそれなりの迫力があり、一貫した
ポリシーを感じられる作風であった。一例をあげれば私のデ
モテープをバッキーというメーカーにみせたところ、そのメ
ーカーが、私の作品と同じような作品をつくり、その作品が
もとで逮捕されるという事態まで起きている。その様な作品
ばかりを当時の私は作っていたのだ、しかも私の中ではその
ような作品でさえも、まだ腹八分目と思い手加減をしている
つもりでいたのだ。
アウトロー的匂いを漂わせた作品ばかりを制作していると、
たまには優しい人間を演じたものや、嗜好を凝らした作品を
作りたくなるものである、それが現在である。だがそうする
と、「今までの沖本作品は何だったの?」という率直な疑問
がでてくるのだ、だから「沖本は理解できない」という言葉
になるのだろうと私は解釈している。
私は今のスタイルでいきたい、鬼畜や変態ばかりでなくても
いいのではないかとかんがえている。もし仮に、今まで私が
制作した作品の全てが本当はヤラセだったら?そう考えれば
納得いくだろう、そして鬼畜以外で人が真似のできないよう
な作品を作ればいい。 女は天性の役者であるから、その才
能を活用すれば充分可能だ、造作もないと思うのは慢心か?