前衛芸術

前衛芸術という言葉がございます。

鍋を打ち鳴らすだけで音階も何もない騒音や、落書きのような絵画。
ありきたりの生活の一部を切り取っただけだけのような写真、
その他多様なジャンルに渡りそれを芸術、作品と主張しているものがそれです。

代表的なところではピカソの絵、音楽の世界ではエレキギターなどで演奏するロック
などがそう呼ばれてきました。

それらは価値を見出してもらえなければただのゴミ、騒音、そういった存在です。
でもそういったものが無価値なものかどうかは時代や大衆が価値を判断するものなのです。

前衛という言葉の意味には、旧然たる体質に対する攻撃をするという意味があり、
今まで存在しなかったものが、そこに存在を求め産声を上げるという意味でもあります。

今までの常識では考えられなかった、ありえない手法や価値観。
そういったものに出くわすと、人はみなそれを異端と感じ避けたがります。
それに同調したくないばかりか否定をする、今までのセオリーを大事にしたがります。
そういった向かい風や軋轢に抹殺されてしまうことも少なくないが、そこに敢然と
戦いを挑まなければならない宿命を背負っているのが前衛芸術でもあります。

では私の作品群はどうなのであろう?

当初のきっかけは女のいい加減さに対する「怒り」であったが、やがてそれは
女の底知れぬ性欲や、底知れぬ演技力への「脅威」へ変わり、それをいかに演出する
かをテーマに掲げてきました。
形式としては面接もので一貫し、何も知らずに来た女たちを悪徳面接官がいたぶる
というものです。
その面接官の鬼畜性や意表をつく奇抜な言い回しによって女たちは翻弄され理不尽
にも不本意な行為を強要されるというものです。

そこには常識ではありえない可逆的な行為や辛辣な言葉が連なっており、見る人に
よっては本物ではなかろうか?と、思えるほどの迫真の演技なのです。
事実、作者本人さえもどこまでが本当なのか分からない場面も多いのであります。

ですから作品によっては高い評価を受けたものもあり、そういった作品を必要とする
ユーザーの支持も多かったのです。

でもそれだけでいいのだろうか?と、私は疑問に感じています。
確かに鬼畜というインパクトは強い印象を与えて関心を呼ぶが、それは一過性のものです。
ですからそこだけのユーザーを狙った商売をすると息がもたないのです。
何故なら真性鬼畜なハードユーザーは人口比率からしても少ないからなのです。

オナニーの道具として幅広く支持され続ける為には、もっと一般的な要素を取り入れない
とならないのです。
同じ面接ものでも鬼畜だけでなく、多くのパターンを取り入れないとなりません。
それはモデルの見てくれであったり、プレイ内容であったり、いつも同じようなものではな
く日替わり定食的に提供しなくてはなりません。

いくら美味しい肉でも毎日それでは飽きられてしまうのです。
そして一度飽きてしまったら二度とユーザーは関心をもたないものです。

今のAV業界が斜陽から終末の様相を呈している原因の一つがそこにあります。
あまりにもくだらない内容の作品を乱発し過ぎた、ユーザーはうんざりしているのに尚も買わ
せようとした。
おかげで現在ではよほどビジュアルの良いモデルの作品か、奇抜な内容のものしか売れないと
いう状態になってます。

前述した前衛芸術の話に戻りますが、私の作品がまだそこまでとは申しませんが、少なくともそ
のくらいの気概で制作をしております。
そのへんのライバルには負けないつもりで制作に取り組んでおります。
過去の実績からしても3割程度の確立で高い評価を受ける作品を作っています。

そこには理由があります、まず確固たるテーマをもち、それぞれの作品にストーリーを付随させ
ているからなのです。
ただのオナニーの道具という「商品」ではなく、ともすれば前衛芸術の域ではと思わせるような
「作品」として魂を込めて制作したものだからです。
ですから単発の素材でも充分勝負できますが、将来の利益を考えるなら長いすスパンでの
連作をお勧めします。
難しい条件その他いろいろありますが、納得のいく連作を完成できたのなら、その作品は
必ず他の作品を席巻する力があると確信します。

そのような作品を世に送り出してみたいと私は切望しております。

私が渇望しているのは、そういった私の意志を理解していただけるスポンサーです。
破格の資金が必要なわけではありません、むしろ他よりはかなり安価で制作をする能力を私は
保有しています。

今まで以上に高い評価と、販売実績のある作品を作ってみたいと思っております。

 301848                      H25 5月10日 AM8時