評価は他人がするもの

「これは演技なのか?AV面接の検証」 業界紙評価点 当月一位
「沖本猛の素人無差別白書1」 配信会社 ロイヤルアート内一位
「本当にあった秘密の話」 コンビに誌 視聴者アンケート 一位
他の作品もそれなりの評価を受けている現在である。
私には少し合点がいかない結果である、内容が皆鬼畜ものだからだ。
「そんな筈は無い、おかしい」と、漠然と思っている それとも今
頃になって私の作品が評価されているのだろうか?業界の流れがよ
く掴めていないのかもしれないが、この結果だけを見れば私は鬼畜
ものにしか価値が無い監督という事になる。それは心外な話である、
前にも書いているように「鬼畜」はアイテムの一つであり、きっか
けでしかないのだ 私が本当に作りたい作品は「鬼畜」ではない。
私が依頼される仕事も「鬼畜」の基本路線が多い、初めて会う人に
「沖本さんが普通の人でよかった」と、未だに言われる。何故だ?
何故気が付かない?本当に鬼畜な狂気者であれば一年間もビデ倫
をリリースするのは不可能だろう、とっくにシャバとはお別れだ。
一番難しいとされているこの分野をやって来たのに、どうしてもっ
と簡単な内容の仕事依頼が来ない?私が出来ないとでも思っている
のだろうか?「面白いもの」「感動するもの」「現実を実感する」
「女のいやらしさ」「男のいやらしさ」「恥ずかしさ」「純潔」ETC
これらを撮ってくれという依頼は何故来ない?
私は芸術家ではない、仕事としてやっている。仕事は方向性と世の
中に対しての鼻が利かねばならない このままでは「あんたは鬼畜
以外では出番が無いよ」と、言われているようなものだ。だが私は
そんな小さな枠の中で縮こまっているタイプではない、面接トーク
はオリジナルであるが、全てに応用できるものだ 攻めができるな
ら守りも受けも出来るのが自然の理というものである、ましてや女
を褒めておだて上げるなんざ・・・私を理解してくれる人が増えて
欲しい。私はこれからも攻める、形を変えて攻めてみる。攻撃は最
大の防御であり 有史以来、「篭城」して勝った者もいないからだ。