ブログを書く

他者の日記を読んでみて思う、どうやら日記を交流の場と勘違い
している者が多いようだ。口頭で伝えられない心情を文字に変換
している、まるでメールの続きじゃないか 携帯電話が普及しても
伝えられないモノはある、だからといって文字に変換しても無意味
に等しい、何故なら言葉で伝えられない者がどうして文字で伝える
事が出来るというのだ?より難解になるだけだ。そういった者が書
く文章は「〜しました。」「〜という事になりました。」で終わっ
ている、読んだ人間が知りたいのは 「それをどう感じたか」では
ないのか? 日記などというものは自分との対話であり、自分へ向
けてのメッセージではないか たとえ誰も読まなくても、誰もその
考えに賛成しなくとも自分の考えを述べ、記録し、自分を進歩させ
る為に書くのが日記だと思う。それともブログとは日記プラス他者
との交流を目的とした新しい伝達法なのだろうか?
自分の考えや行動を他者に知らせようと思うのは、薄弱な存在感を
否定したいという表れである すなわち現代の薄弱な人間関係を是
正したいと思っているのだ、低下しつつある精神年齢に危機感を抱
き、食い止めようと思う深層心理だ。だから必ずブログに業を煮や
し「ディベート」や「討論会」のような形に発展してゆくだろう
それは日本人がしばし忘れかけてた 熱い魂と魂とのぶつかり合い
である、そうやって魂は磨かれるものだからだ。先人達はその様な
場があり伝統的に「教え」を授かってきたのだろうが、今の社会に
その場は稀だ、だから「教え」を欲する魂が間違えて新興宗教に取
り込まれたりするのだ 今の時代、大人を教育してくれる場は宗教
しかない、それではいけない 宗教は「教え」もするが偏りが大き
いからだ。私は宗教色の少ない「人間塾」の様なものをやりたいと
昔から思っていた。「鬼畜AV監督が?」と思うかもしれないが、
そう思う者こそ愚か者である。きっかけは興味からだからだ、SE
Xに興味のない者はいないだろう そして誰しも感じている事は、
「裸になりたい」という事なのだ、それを他人に見せる度胸がある
かどうかは個人差があるが「裸になりたい偽りたくない」と思って
いるのだ、それは人間の本能だからだ。そして裸になれる人間は素
直な人間が多い事も、大人なら分っている事なのだ。こう考えれば
AVという職業もなかなか捨てたもんじゃないわけだ。これが今日
の私の寝る前の心境だ、これが日記というものではないのか?
AM1時30分