自由の監獄

いつもと変わらない日曜日、NHKの将棋をみてゆっくり
して、庭と屋上の植木に水やりをした。
両親が旅行に出かけているので月末まで、兄弟が実家の
留守番を交代ですることになっている、今週は私の番で
ある。私は植物が大好きだから実家はパラダイス、小さ
な庭だけど父と世話をしている思い出の植物が沢山ある。
父は定年後、植物に興味をもちはじめ今では私の唯一の
植木仲間となっている。
父は東北大学の法学部を卒業して国金を扱う仕事をして
きた真面目な人である、博学で聡明で思いやりがあり、
計画性があり行動力がある、父の言葉に嘘や裏切りは一
度もなく私は父の子どもで幸運だったと思っているし、
これほどの感謝はない、またこれほどの人物になってみ
たいという願望の去来は常である。私は父に対し言葉で
は表せない、尊敬、敬愛、誇り、愛情、・・ETCである。
そんな父が植木の世話をしながら言ったことがある
「定年で仕事を辞めるとやる事がなくなる、植木の趣味
 がなかったら する事のない毎日だもんなー」
私はこの言葉を切実に感じたものだ、私の場合ちょっと
違うが、留置所の中で感じた感覚と同様のものを感じた
からだ。人は何もしないことが、かなり辛いと私は思う。
国は定年を迎えた方たちに、自由な時間という名目の
かなり辛い放置プレーを死ぬまでしようとしている。
これは国にとってもかなりの損失ではなかろうか?
人材、文化、経験値の投棄は許されるものなのか?
これは人事ではなく、誰にでもありうる現実の将来なの
だ。退屈な毎日が嫌だと思うなら今から努力すべきだ。