矢吹 8

矢吹薫 8

文章でもドラマでもそうだろう?
悪い人悪人悪魔と思わせといて実は善人、みたいなどんでん返しの妙に人は感激するもの。現実にもその効果は絶大だ。不幸な孤独や痛みに苛まれていても、実はそうじゃなかった、生きている事そのものが感謝すべきことだった。そう悟らせてやれば人の魂なんてものは安らかになるものなんだよ。
痛みだってそれは生きてる証だろと、そんな刺激よりもっと強い刺激があれば痛みもなくなる。
欲というものを叶えきってしまえば、この世の未練もなくなり
仏の悟りのような静な安らぎの中で自然に人は息を引き取るものなんだよ。
その方法はコツさえ覚えれば誰にでも簡単にできるような事でもない、どんなに修行をしたところで悟れるものでもない、教えてやれるものではないんだ。
宗教じみた言い回しだが、これを若い健康な者に理解してもらおうとは思わない。明日がある者が聞いたところで宗教の教本にある一節の受け売りだろう。
何故なら明日のある者は、同時に欲も持っているからさ。宗教ってものは死の間際に直面した者、それに近い境遇にある者だけが知る共感のようなもの。
その心の準備に一番近いところにあるのが、施設にいる終焉まもない利用者なんだよ。

では、その一歩手前の話だったらどうかな?