パンとサーカス
パンとサーカス
ヘルパースクールのほうは、学科が全て終了しあとは今月の実習
を残すだけとなった。
今日はその初日ということもあり、より新鮮なきもちでもあり、
また改めて介護という仕事を考えさせられる一日でもあった。
学科の2ヶ月とは違う「覚悟はしていたが・・・」という気持ち
に早くも支配されつつある。
その気持ちとは、職場への不満とか意識の違和感というものでは
ない。やはりそんなものは現場から遠い者にしか感じえぬものであ
り、現場では目の前の作業の方が大事であり、それは更に必要な
気持ちであった。
故に現場にいると薄らいでゆくであろう昨日までの2ヶ月間の感想
などを今のうちに書いておこうと思った。
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一言でいえば感謝で始まり感謝で終わった、また疑問で始まり疑問
で終わったとも言える。
修行時代とはそういうものであり、まだ何もしていない段階としては
このくらいしか書けない。
不満については元々あまりなく、強いて言えば喫煙時間が昼休みだけに
限られていた事ぐらいだろうか。
感謝については筆舌に尽くしがたいものがあり、やはり介護職の人達は
一般に比べると驚くほどの優しさや忍耐力や気配りがある。もちろん
個人比較すればそれぞれ差はあるにせよ、全体的にはかなりハイレベル
である。私の今までの経験の中では、それは宗教に近いくらいのもので
あったと感じた。介護業界は「老人教」であるともいえる。
ただでさえ忙しい時間を割いて、私たちのために講義をしてくれて、
私たちが資格の取得をするための英知を授けてくれようというのだから。
・
国の支援の基であるにせよ、その労をいとわぬ講師陣の献身ぶりは、
私の今までの人生ではなかった事であり人達であった。
講義も単にテキストの受け売りではなく、色々な資料の中からの抜粋
である場合が多く、そういった講師陣の熱意に私は驚いていた。
その熱意に応えるべく私も熱意で質問をした訳である。
それがどんな稚拙なものであれ、人間の根幹にあるものであろうから
無駄では無い筈である。
「いちいちうるさい奴だ」「なるほどそうか」「また言ってら」
「確かに可能性としては一理あるわな」などなど、色々な解釈があっただ
ろう。
そして、全員にそのように思わせる事が、一つの狙いでもあった。
「稚拙な質問」を別の言葉に置き換えて、「単純な質問」としてみよう。
実は単純な質問、これほど難しい難問もないのだ。
私はそれを意図してやっていた、本音と建て前の裏側をわざと疑問形と
する手法である。
考えようによっては、意地悪とも、粗探しとも、性格が悪いとも思われる。
大人気ないとも、損な役回りであるともいえる。
普通の社会であれば一笑にふされ一蹴され、次の発言権さえ剥奪されよう。
だがここの講師は違った、真っ向から受け止めてくれる講師がおり、また
別の講師も持ち帰った質問も別の形で返答を返してくれた。
単純な質問であるから、私も答えらしきものは判っている。ただその
方向性や自分の感性が間違ってないかだけを確かめていた質問であるから、
そこに正解などはないわけで、全ての答えも受け取っていた。
つまりは、私は受講生という立場を利用していたのであり、受講生でなけ
れば非常識なのである。講師に甘えたような格好とも言える。それを見事
に受け止めた講師側は素晴らしいの一言にあり筆舌尽くしがたい感謝とは
この部分も含めた表現なのだ。
真の目的は二つあった。
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一つはパンとサーカスであったのだ、講義という賜る英知無償の愛に(パン)
対す返礼として質問者(サーカス)としての姿。それはダラダラとしたテキストの
受け売りに緊張を催す効果がある、ボケと突っ込みではないが一つの期待感
のようなものを持たせる事により、講義の質疑応答を楽しみにする生徒が
かなりいた。テキストの受け売りだけで質問も何もなければ、退屈な時間
となってしまうが、変な質問でもすれば講義そのものが盛り上がるという
演出効果である。これは私一人の力ではなくてボケる役回りがあり、また
それを受容傾聴してくれた講師陣あって、はじめて成せるものであり、その
タイミングを計ってやっていた。
正直そんな損な役回りはどうか?と、疑心暗鬼であったりもしたが、もう
一つの目的もあったから続けていた。
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もう一つの目的とは、どこまで自分が入り込めるかの再確認であった。
人はみな「自分はこういう人です」みたいな固定概念をもっている。
だがそれは大きな間違いであり、それは単に「そういう人格」が過去に多
かったというだけの事である。
それぞれ家に帰ればお父さんお母さんなど、家庭の顔があるのにここでは
生徒の役に従じているのが何よりの証である。すでにそこには2つの顔が
存在しているではないか。ではどちらが本当の自分なのか?
どちらも本当だろう、つまり人間は一つの顔なんて事はあり得ないのである。
「もう一つの顔」なんて書くと悪いイメージにとらわれがちだが、それは
違う。
演じている自分も本当な自分であるのだ。
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その演技力がまだ自分に健在であるかどうかの確認でもあったのだ。
今回の残りの1ヶ月は介護に従順な人間を演じるつもりである。
この2ヶ月とはまるで別人の従順な熱心な人間を演じるつもりである。
その意味とは、まだどこにも就職が決まってない現在、どこで働くか分から
ないが、自分がこの業界でやっていけるか(演じていけるか)への挑戦で
あり決意の再確認なのである。
私は演じてみるつもりだ、温厚で優しくて思い遣りのある気が利く人間を。
その介護職としての演じ手を
1ヶ月続けられたら1ヶ月間の介護職
どこかに就職ができて3ヶ月演じられれば、3ヶ月間だけの介護職
3年できれば3年だけの介護職
では、それを一生続けたらどうなると思う?
宮崎エキホの教えの通り、それを一生続けられたら、その時は私はホンマ者
の介護職として生きた事になる。
その為の挑戦を始めるのである。
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まあ見てて下さいな。
そして、協力各位の方々、特に講師陣の方々にほ
本当に心から感謝いたします、一生感謝しますので、あとの1ヶ月をお見守り
下さい。
こちらで就職したいのは山々ですが、それができずとも私は介護職となって
立派な介護職を全うし介護業界へご恩返しをする所存です。
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171482 H22 9月1日 PM6時50分