おもしろいモノー2

おもしろいモノが現れたー2

そういった思考が累積されているので、私は聖人君子のような言葉だけを連ねるわけにはいかないのだ。

あくまで沖本が書いている以上は
その性格のように自分勝手な解釈で続けなければならない。
「好きなようにやる」
「意見は無用だ」
など横暴とも言える思考は、とても現代には受け入れられない考え方である。
あまりにも偏り利己的である、そういった沖本という1人の主人公を作り上げてしまった作者としては、本当は閉塞感や申し訳なさを禁じえないのだ。

沖本猛とは元々AV監督として誕生し、その狂気の一端を宣伝しようとしてブログが始まった。
しかし作者は以前からプロモーション雑記というものを本名で書いており、それが間際らしい原因の一つなのである。
私もいつまでも沖本を名乗っており、その本人が書いているようにしているから、自然私と沖本は同一人物と思われるわけだ。

では私と沖本を切り離しは別人格といて描けばいいのか?
確かに逃げとしては有効かもしれないが、それでは私の最も危惧する痩せた内容になってしまわまいだろうか?
一つの物事に対する考えでも、どっちか分からない難解なものに深慮があるのだから、それを提案したい私としてはもう1人の人格が備わっていた方が好都合な場合もあるのだ。

難しい言い訳を色々書いてしまったが、世の中には良いとされている事柄があるがそれは本当に良い事なのか、世の中にには悪いとされている事柄があるがそれは本当に悪い事なのか。

そういったものを私は表したいのである。
そういった提唱を文豪ならいとも簡単に物語として著してしまうしそういったものは多くあるが、では実際にそうした登場人物が現存しているって例は少ない。
ドキュメントものの英雄伝説も多数ある。
ドキュメントなのか、そうでないのか?それもよく分からないが、
そんなストーリーの中に登場する人物が現存するって例はあまりみかけない。
このニッチな部分をどう表現してやろうか、どうすればいいのだ?

私はそこに試行錯誤している。

ある高僧の言葉がある。
「人の道は果てしない悩みの道である。」と。
私の道も、きっとそうなのだろう。