おもしろいモノ

おもしろいモノが現れた。

私はそう20年くらい前に思った。
それまでは文章を紙に書いたり、口頭にて伝えなければならなかったのだ。
伝達の方法が変わる時代が来ると分かったが、果たして私は大の機械音痴である。
自分が使えそうなモノが世の中に広まるまで待ってみよう。
そう思っていた。

昨今ではSNSは殆ど知らない者はいないまでに普及した。
日々の様子や感動を誰かに伝えたい、それに共感する者と知り合いたい繋がりたいという動きも活発になってきている。
それは集合と離散を繰り返しそれらに纏わる細分化されたルール掟のようなものも確立されている。

やがてそれらはどうなるか?
巨大なコミュニティが出現することになるだろう。
今までの我々が知らなかったような巨大なコミュニティである。
その価値は計り知れない、一つの都市や国をも動かせるであろう人材が連なり、その核となっているのがそのコミュニティを立ち上げた主というわけだ。

その主は人望があっただけではない、人身掌握術の達人でもあるのだ。
コミュニティの主は大きな力を動かすことができるであろう人物ということになり、その信用や権威も今とは格段になっているだろうと思う。

そういった人物を手の内で動かせたら?
手の内で動かせられずとも、協力関係や少なくとも味方であったならどうだろう?
なるほど米国がフェイスブックを最終兵器として開発した理由は頷ける。
多分この先NSNはそうなってゆくのではなかろうかと私は想像する。

当時そこまでの考えに至っていなかった私は、単におもしろいモノが現れたとだけ思っていた。
だから日々活動の報告や気持ちの移り変わりでいい、ちょっとした自分の日記になるしと。

私のものはあまり大衆を惹き付けるようなものではない、ニッチな中で鬱憤晴らしも容易だしまあそこそこで良しとした。
はてなダイアリー」というSNSで5年くらい書いていた。mixiフェイスブックもまだ知られていない頃だった。
ある時、はてなダイアリーをネットで調べていたらはてなダイアリー内のランキングなるものがある事に気がついた、早速自分はどんな位置にあるか調べてみると、私のブログは全体の10%以内に入っているらしかった。

「私のブログを読む人もいるのか、10%とは全体で何人なのだ?」

これが素直な感想であり、さして何とも思っていなかった。
私は今でもそうだが、これで食っていこうなど一度も思ったことがない、プロが仕上げたものはよく知ってるからそれには到底及ばないことも分かっていたからだ。

根底にあるのは自分勝手な感情である、共感してくれなどとは思っていない、読んで納得するもしないも個人の自由じゃないか、その代わり文句も言うな。意見交換を求めているのではない、大声でストレスを発散させる場所がないからここでやってるんだ、だから邪魔はしないでくれ。
これが私のSNSの使い方なのである。
そうやって20年くらい前からやってきたが機械音痴の私である、途中で何度も中断をしてしまう。
原因の一つは私の気性の荒らである、パソコンを壊してしまうのである。
今はスマホで書いてそれを各NSNに送信するようにしてるが、スマホも既に4台目である、その度に
「あー、またやっちまった・・データも全て消えてしまった参ったなー」となる。

中断の理由は他にもある。
病が重くなりSNSどころではなくなった時期があったり、経済的な圧迫であったり、強制退会の処置によりSNSそのものに失望をしてしまった時期などである。
であるから、はてなダイアリーなどは何か月も書き込みがなかったりする。

でもやっぱりSNSに戻ってきてしまう。
きっと私はこうやって自分の考えを発信するのが好きなんだな、単に鬱憤晴らしの目的だけではないのかもなと思い始めた。
そしてその度に今度はこれを試してみよう、あれを試してみようとなっていった。

現在やっているのは私のブログ風である。
私とは沖本猛であり、実際の私の思ったことや実際にやった事にプラスして物語を綴っている。
(近年写真のアップもできるようになった😃)
ただ私1人であるとそれこそマスターベーションで終わってしまうような気がしてきた。
もう1人か2人、私のような奴を見つけてこようかなと。
どんな本や映画でも登場人物は多いがその本を書いている人は作者1人だけ。それでは余程の才覚がありダ・ヴィンチみたいな人でなければ1人の能力では限られた狭い範疇に収まり、内容も痩せたものになってしまうのでは?と。
どうせ書き残すなら、より満足感のあるものへ挑戦してみようかなと。
あまり他人がやらない事に興味を持ちやすい私の好奇心、それができるなら従来の本や映画の作者という部分の概念に革命を起こせるのではないかと。
だがそれな難儀だった、私のような人間は星の数ほどいるだろうが
私は1人しかいないという現実の壁は高かった。
という事で早々に挫折をした。
次に浮かんだ案、そいつはブログになんか興味がなくてもいい、そいつに成り変わって私が書いてしまえばいいんだ。

それなら手っ取り早い!
都合の悪い部分は省いてしまえばいいのだし暴露本みたいになるけどまあいいかと思った。
いや、ちょっと待てよ、そいつが良い行いをしてればいいが、そいつが悪行をしていたら俺が悪人て事での懺悔物語になるんだよな?

などなど、良いのか悪いのか現時点では判断がつかない。

それと言うのも近年動画として自分を発信して、それを見るユーザーとタイムリーに交流する、所謂ライバーという文化が根付きつつある。
まだ現在はそれらはソフト路線が多いが、やがてはハードな路線もOKなところも出てくるのではと思っている。
そうなりゃ、ちょっと出番じゃないの?って私はほくそ笑んでいる。
例えば、AVの面接というものを殆どの人は知らないでしょ?
皆が知ってると思っているものは
、あくまで作品として作られたストーリーのそれだからね。
実際の面接を見てみたくないかい?
面接だけじゃないよ、AVの撮影現場を見学したいって金持ちがいて見学料に5万も10万も払うと言うんだぜ。
裸の仕事にはそうした稼ぎ方が山ほどあるからね。

裸の仕事じゃなくてもいい、裏金融や違法な薬物の話を聞いてみたくないか?
芸能界の裏話とかさ、そうした陽の当たらない部分は誰しも興味あるんだと分かっているからね。

ーーかなり脱線した。ーー
この脱線も私の文章の特徴だから、全て繋がっていると解釈して欲しい。
私はゼゲンなんだよ、耳に聞こえの良い文学書を書こうなんざ思っちゃいないよ。
今思っている事を書いているだけ。