地獄を知る

地獄を知る

地獄?死んだあとにいくあれか?
他人事のように思っているかもしれないが。

無神論者である私にとり、死後の世界などありはしない。
それを形容するならば現世での苦悩こそが相当するのではないか?

この世は地獄なんだよ。

なんだ、先日まで幸せがどうのこうのと講釈たれてやがったくせに

との向きには語弊があると了解して頂こう。

幸福と地獄は表裏一体なんだよ、どんな世界もそうだろ、漆黒の闇にもいづれ一条の光は射す。その逆に清廉潔白な澄んだ中にだって一点二点のシミや過去はあるものだ。
食い物の話をしたろ?
毎日毎日コッテリした肉を必要以上に食わなくてはならなくなったらどうだ?
食い物を食えるという幸福から一転して匂いをかぐだけで吐き気がするという地獄に転落するだろ。
人間なんてものは、それだけ単純な薄氷を踏むが如し不安定な精神状態での活動をしているんだ。

私が思うに現世は幸せを感じるよりも、地獄を感じる瞬間の方が多いと思う。

私は無神論者だが母はそうではない。四国八十八ヶ所の巡礼だけでも2周も果たしている程だ。

母は私に「あんたが地獄に堕ちたら絶対に蜘蛛の糸で引き上げてあげるからね。」と、言ってくれている。
嬉しいじゃないか、薄々母が勘づいている通り私は世間一般で言われるところの悪人だ。
それが私の反面の顔でもあり
もう反面はお人好しな臆病なくらいの私なのだ。
幸か不幸か私が犯した大半の罪はバレていない、そういった境遇にある者には解るだろうが、精算してない罪の意識は裁かれた罪よりもより一層、己を滅したくなるほど本人を苦しめるものなのだ。

罪の意識に苛まれながらも生き長らえているのは、母からの言葉が担保になっているからさ。
笑ってしまうよ、私は無神論者であるはずなのに。

それが私なのだ。
これからも私は私を変えれないと思う。
表裏一体が世の中ならば、性格だって全てを一つにして初めてそれが自分なんだから。
自分らしく生きるって、言葉じゃカッコいいがそういった事だからね。
だからこそ、もうこれ以上は堕ちたくないと慎重になるわけさ。

出来ることなら、地獄ではなく幸せの方の感情を多く感じたいと慎重に努力をするんだよ。
この世の中甘くはない、理想だけではやっていけない、どこで鬼に出会うか分かりゃしない。
どこで隣人を邪に変えてしまうか分かりゃしないんだよ!

皆さんも油断してはいけないよ!