幸せを感じる為にはー1

幸福を感じる為にはー1


諸説ある、一つのテーマとして考えてゆくには飽きのこないカテゴリーの一つだ。と、気付いた。

これは人にとって大きな命題であろう。
その答えを求めて人は様々な思考や言論を繰り返すがそれは何の為だと思うか?
その単純な答えを教える為に様々な例や難渋な思考や言葉を駆使しようとするのは何故か?

それはその単純な答えに負荷をかけ、価値を増進させ、それら一連の活動に対し、対価の必要性があると思わせようとしているからではないか?

本当に幸福を感じる事が解らぬというのか?
その方法が解らぬと?
それが私には判らない。

全く簡単な事だ、だがそれも良いいそういった議論を好むというならそうしてやろう。
わざとジラして欲しいと望むのなら、そのように何世紀にも渡り苦行を励行する手法もあろう。

そういった果てのない議論を好まない私にとり、それらから感動を受けることは稀ではあるが、それらの様々な手法を駆使する活動の中で、手法により違う角度からの発見は新鮮である。
私はその新鮮さを味わいたいのだ。
つまり、それらの活動そのものが幸福を感じる為の一段階とも捉えることができるからだ。

そう考えるとこれはなかなか面白い。
飽きっぽい私の性格にも、自分勝手なストーリーの主人公にとってもそれは都合が良い。