たれの部屋

そこは古い木造建築の建物だった、廊下には戦前の物と思われる
古い懐中時計や当時の生活の品々が展示しているように飾られている。
その廊下の突き当たりにある広い部屋は、当時そこに住み込みで修業
をしていた私たち修行者たちの部屋であり、10人くらいで寝起きを
共にしていた懐かしい部屋である。その部屋をこのたび私が個室として
借り受けることになった。私は懐かしい気持ちで部屋がどんな具合に
なっているか部屋の下見にきたのである。部屋の扉を開けようとすると
「たれの部屋に行くのか?」と、声がする。振り向いてみるとそこには
見慣れないフンドシ姿の老人が意味深な表情で私の顔を見つめている。
その老人はその一言を言うと、どこかへ行ってしまった。私は回想する、
“たれの部屋?”そうか昔の人は「誰の部屋」を「たれの部屋」と書く、
なるほど時代がかった古風な言い回しをするもんだと。そんな事をふっと
思いながら私は部屋の扉を開け部屋の中へ入った。
するとどうだろう!そこには場違いな妙な光景があった。昔の部屋の懐かしい
面影はまるでなく何故か病室になっていた。病室といっても昔風の隔離病棟か
お化け屋敷のようなイメージだ。ベットが10床ほど両側に5床ずつ並べられ
点滴のようなチューブに繋がれた重症患者のような人たちが寝ている。
ある人は顔がパンパンにむくみ風船のように丸顔になっている、ある人は
コメカミや目がくぼんでおり素人の私にさえそれが死相である事が分かる。
何かうめいているような人もいた。それらの人達には誰かが見舞いに来たような
形跡もなく、また介護を受けているような印象もなかった。ただ死を待っている
だけのような、世の中に見捨てられた人たちの集団、まるで現代の姥捨て山の
ような惨状だったのだ。
私は自分の足元が何かに濡れているのに気付く、それは垂れ流しの糞尿であった。
個室として借り受けようとした部屋がまさかこんな部屋だったとは・・・。
「たれの部屋」とは「誰の部屋」ではなく「垂れの部屋」だったのだ。その事
に気付き私は急に心細くなり部屋を出ようとしたが足が動かない!そんな私に
「お前は中間まで来ている」と、誰かが言う声がするのだ。
そこで目が覚めた。
目覚めた後も暫らく私は真剣に言葉の意味を探っていた。
「中間まで来ている」とはどんな意味だ?
現在が43歳だから、この先40年後の俺の姿があれか?
それとも、このままじゃああなるという暗示か、予知夢か?
と言う事は、あと40年は生きられるって事か?
どちらにしても歓迎できるような将来ではない、まったく憂鬱な夢だった。
タモリの世にも奇妙な世界の台本として投稿してやりたいような夢だった。

151105(117) H21 11月20日 AM1時5分