末期症状

昨日、私の作風が商品として出回る事自体が末期症状だと書いが、少々違
和感というか語弊があると思うので、その説明を書く。

約15年前バブル期の追い風もありダイヤモンド映像というAV会社がピ
ークを迎え、激安王などのフランチャイズ店も旺盛だった頃を指して
AVの黄金期などと称しているが、実際はどうだろう?
モデルの質や撮影内容をみる限りでは現在の方が遥かに勝っていると思う
のは私だけではないだろう。
一昔前までは、水商売や風俗店では相手にされないような女が、仕方なく
AVをやっていると思われていた。現在ではどうだろう、アイドル顔負け
の子たちが出演し、よりハードな内容をこなし、またその商品の販売方法
も格段に多様である。すなわちユーザーにとっては現在の方が遥かに黄金
期なのだ。この商売に限らず商売とは栄枯盛衰である、不景気である現在
でも笑いが止まらないくらい儲けているAV会社もあるのだ。
私が末期症状であると言いたいのは、私をいつまでも鬼畜の作り手として
しか使わない事だ。確かに私の作風はインパクトがあるかもしれないし、
玄人ウケはするかもしれない、だがその作風を心から愛するユーザーは少
ないのだ、私の作品は起爆剤として利用すべきなのだ。輝かしい未来やビ
ジョンのある業界なら「鬼畜の次はどんな作風で驚かせてくれる?」と、
打診してきて当然だ、ところがそれが未だかつて一度もないのだ。つまり
は行き当たりばったりのエロでしかなく、そこに私は末期症状を感じるの
である。AVに感動も笑いも必要ではないと言われているが、私はそれが
必要だと思っている。今まで観たAVの中で豊田という監督の出産ビデオ
を観たときは感動で涙が流れた。そのような観た人を感動させる作品が多
く作出されるようになって初めてAVというものは市民権を得られるので
はなかろうか?
AVはいつまでも「コソコソ観るモノ」という存在でいいのだろうか?
その疑問については、なかなか理解者は現れない。
それとも私の考えすぎなのだろうか、使い捨てられるティッシュペーパー
のような存在として妥協すべきなのだろうか?

42121(313)      18日AM0時35分