平林寺

紅葉の季節もたけなわだ、今日は父母と妹の4人で埼玉の新座にある
平林寺という寺にモミジを見にドライブしてきた。
昭和43年に国の天然記念物に指定された境内内のモミジは美しい。
息が凍りそうな寒さだったせいか寺の総門から山門へ向かう境内は、落
ち葉一つないほど掃き清められ うっすらと白く霞む寒気の中に赤や黄
のグラデーションはまさに歌の如き「錦おりなす」さまを呈していた。
紅白の幕を張られた境内には、お茶の定例会でもあるのだろうか表千家
の人たちが列をなし その色とりどりの艶やかな着物がいっそうモミジ
の紅葉に色を添えていた。
表千家だのお茶会だの、まったく私には縁のない連中だが 名前だけは
私も知っている。世間でいわれているオホホ族とはどんな連中なのだろ
う?さぞかし高貴なお顔をしているのだろうと思いチラッと覗いてみた
が、スーパーにいるオババと何の変わりもなかったのでがっかりした。
茶道とは究極の日本の美を追求するものではなかったのだろうか?
寒いからとはいえ、いかにも寒そうに血の気のない顔でハァーと息をか
け手を擦り合わせている様は、なんとも無様でみっともなかった。そん
なことなら気取って着物なんか着てんじゃねぇぜ、どうせ金にあかして
買ったんだろうよ、そんな金があるなら俺によこしやがれ、と思った。
まぁ貧乏人の僻みだと思われても癪なので一瞥してやっただけだが、私
も浮世の戯れに目を奪われているようではまだまだ甘いと自分をたしな
めた。そうだ私は両親と美しいモミジの紅葉を見にきたのだ、今はその
美しさを堪能しよう そう思い直したときある人の言葉を思い出した、
「自然は立派だ、どんなに綺麗な花を咲かせようと、そしてそれを褒め
られようとも、そうでなかろうとも時がくれば散ってゆく、そして来年
また同じように約束を果たす、それが真理というものだ。」
これは私の尊敬する高層の言葉だ、立派な人は立派な言葉を話すものだ
、私がその人を尊敬し憧れているという事は私もそのような気持ちを少
しは自分の中にもっているという事だ。
まだ間に合うのかな? どうなんだろう? 私はどうすればいいのだ?
思っているだけではダメだよなぁ? 生活もあるし複雑だよなー。
そんな気持ちで私はモミジを眺めていた。

22313(132)          26日PM11時55分