特になし

実際には身の回りに色々あるんだ。
今日だって、大事なお付き合い先の人に怒鳴ったり。
池袋駅の人身事故現場で、作業員が線路を洗っている
様子を見ていたときに、私の隣で見ていた知らない若い
連中が「瞬間を見たかったよな」などと話していたので
つい「ふざけた話をするな!」と、余計なことを言ったり。
と、まぁ書き出せば毎日何かとあるんだが・・・暗いんだな
私の書く日記は。読み返してみると、これは長い遺書じゃな
いだろうか?と、見まごう節さえ無きにしもあらず。

特定の誰かに読ませるメッセージでもないのだから、これで
もいいかな?と思いつつも、いやいやどうせ書くなら高揚す
るような、他人が読んでも羨み虜になるような、そんな文章
は書けないものだろうか?と考えているのだ。
そんな文章が書けるぐらいなら作家になっているか・・・。
所詮は私の一人相撲というところなのだろう。
つまりは、「書く気にならない」という結論に導かれるのだ。
では何故、いま日記を書いているのか?
意思が弱いと思ってもらっても結構だし、暇だからだろうと
推測してもらっても、どちらでも間違いではない。もう一つ
言い訳を付け加えるなら、ストレス発散でもある。
(全く・・今日も暗い日記だ。)
何故なんだろう?何故もっと明るく楽しい話題を書けない?
元々、公開日記を書き始めたきっかけは、「沖本猛」という
無名制作者の異常な日常と感性を、公開することにより宣伝
もしようというものだった。だがいつの間にか、こうした自分
への「日記、ブログ」というものになってしまった。
だから私は素直に書いているつもりだ。だが、それは「つもり」
であって実際は気取っているのではないだろうか?
知人よりも遥かに多い、名前すら知らない人たちが読むこの
文章に何を気取るというのだ?それでどうなるというのだ?
それなのに、どこかきっとカッコつけているんだろう。そうい
う鼻持ちならない自分の日記が嫌で嫌で仕方ない。

亡くなった祖父も長年日記をつけていた。
どこかへ旅行へ行ったとか、孫が遊びに来たとか。読んで面白い
ものではなかった。その祖父が肺癌で癌センターで入院中であり
ながら、家族には自分が癌ではなく結核だと言い、死ぬまでそう
言い切って亡くなった。その頃の祖父の日記を読むと言葉とは裏
腹に死期が近まる恐れや、病の正体も知っており胸を打つ。
祖父は立派だったと思う、私にそんな事ができるだろうか?
できることなら、私も祖父のような日記も書きたいと思っている。
そうであるなら人目に晒すような、こうした形態はどうなのだ?
やはりストレス発散で書いていると、表現すべきが適切では?

こんな自分勝手な私だけど、皆さん今回も付き合ってくれて有難う。
長々と愚痴を書いたけど、おかげでスッキリした。

69391(545)   19日    PM9時45分