女満別

18日分の日記が操作ミス?で、消えてしまったので18日分を書こうと思う。
本文を全て書いて、その後に題名を考え入力したら全てが消えてしまう、たぶん私の
ミスだとは思うが、私は毎日同じ操作をしているのに何故、消えてしまう日とそうで
ない日があるのだろう?変なウィルスに感染してないといいのだが・・・
パソコンに詳しい弟に教わって、あらかじめワードに下書きした文章を日記にコピー
する方法でこれからは書いていく事にする。

2月18日分
AM7時起床 今回の旅のメインイベントである「流氷クルージング」であるが、例年
になく今年は網走には、流氷の接岸が確認されてないそうだ。知床まで行けば流氷が接
岸しているそうだが、知床には「流氷クルージング」なるものはないそうなのだ、それ
に妹に続き、母までもが咳き込みはじめたので、クルージングは次回のお楽しみという
ことで、今回は女満別空港から早めに帰京する事にした。つまり18日は、帰るだけの
日というスケジュールに変更したのだった。私の両親は用心深い、万が一の用心の為に
今回も19日(日)を予備日として考えてのスケジュールだった、二人が体調を崩さな
ければ知床まで行っていたかもしれない。この様なゆっくりとしたスケジュールは近年
になってからである、やはり歳のせいかもしれない。私の両親の共通の趣味は旅行であ
る、二人は同じ職場の山岳サークルで知り合い職場結婚した。私も物心ついた頃より旅
行へ連れて行ってもらっていた。子供心にも「旅行は疲れる」と、思うぐらいハードス
ケジュールだった両親も今ではすっかり年老いている。父は4年前、母も来年「古希」を
迎える。父と温泉に入って、弛んだ皮膚や肩や背中の無数のシミを見ると、私の幼き頃
毎年海水浴へ連れて行ってくれた事を思い出す、あの頃の日焼け跡がシミになっている
のだろうなと思うと、なんだか父が可哀想やら勿体無いやらで涙が出そうになる。母親
の裸は小学校の時以来、見ていないが似たようなものだろう。「親は自分を犠牲にしてで
も子を育てる」とはいうものの、尊敬する両親になんとか親孝行をしたいのだが、今回
またしても招待旅行を受けてしまった。親孝行できるとすれば、私が立派になるしか道
は残されてないのだろうか、せめて孫の顔ぐらいは見せてやりたい。
蕨の実家へ戻ると、母の咳が酷くなってきた、疲れたのだろう。風呂の準備をしていた
ので、「風呂入らんで寝た方がいいよ」と言うと、「そうね」と言ってPM9時頃には早
々と寝てしまった。 私は両親の様には真面目に生きれない、裸を世間に曝す仕事を選
んでしまった私は、もう戻れない場所にいるのだ。だがそんな私でも真面目に生きたい
と心底思っている、「今の仕事」に対しても その考えは同じである。職業差別の冷たい
視線に屈せず、真面目に生きていくつもりだ。
43554                         PM11時25分