その気になって

山口組を知らない人は少ないだろうが、関東では稲川会も
大きな勢力を保っている、数では負けるものの力関係では甲乙
付け難い。
当時私が仕えていた人は稲川会の総裁である稲川聖城と付き合い
があった。毎月開催される関東二十日会(親分衆の集まり)のゴ
ルフでもトップグループで総裁と同じ組でまわる間柄であったた
め、ゴルフ場へ同行する私も顔見知りとなっていた。
そんな中の一人が総裁の実子であり当時稲川会の会長だった稲川
雄絞である。
ゴルフ場の便所で顔を洗っていた時だった、私の横で汗を拭く男
がいた鏡越しに見たら大きな体と鬼瓦のような厳つい顔は一目で
稲川会長だと分かった、その会長がタオルを置き忘れそうになっ
たいたので声をかけた。

私   ちょっと、タオル忘れてますよ
会長  ああ、有難よ 
私   暑いですね、後半戦がんばってくださいね
会長  君は誰だっけ?
私   高島のところのモノですよ
会長  ・・・たいへんだろうが、辛抱しろよ
私   ハイ

私と会長が言葉を交わしたのはこれだけである、ちなみに総裁と
交わした言葉はもっと短い。
短いが私は稲川会からは多大な恩恵を受けていた、ゴルフのお付
をするだけで一回50万〜70万の小遣いを貰っていたからだ。
私が仕えていた人は厳しさに定評があり、そこで一年修行できれ
ばどこでも勤まるとさえ言われていたほどだ、私はそこに三年い
た 三年のうちには私もいろんな経験をした、週刊誌に書かれて
いるような事も日常にあった 親分衆からも「本当に困った問題
があったら言ってきなよ」などと声をかけられ、その気になった
りもした。
私がそこを辞めようと思ったきっかけは、私の雇い人からのある
依頼が原因だった。
「殺したい奴がいるんだ、ヤッてくれないか3000万だす」
この言葉は絶対命令でもあった、来るべき時がついに来たかと、
私は内心決意したが、現実は小説よりも奇なりである。