大地へ

栃木の鹿沼へ皐月展を見に行ってきた。
会場は鹿沼インターから車で20分ほどの鹿沼花木センターである。
私は花が好きで毎年春先からこの時期まで季節の花を追いかけてい
る。 早春の梅 桜 からはじまり、夏季の牡丹で一段落する、そ
の間、旬の草木を求めて近場の名所を訪ねるのだ。
特に皐月が好きで、毎年の行事としている。
皐月はツツジと同じ植物である、属や科が同属なのではなく全く
同じ植物である、咲く時期が早いグループがツツジとされ、遅いグ
ループ(この時期)の種類を皐月としている。
皐月は登録されているだけでも2000種類以上あり、他の植物に
比例がない、花芸も豊富で管理も比較的容易なため人気がある。
花の声を聞いたことがあるだろうか?地植でない盆栽に限るが、
私はある。声というよりも感じる感覚なのだが、花は喋るように、
態度で示して訴えるものである、そして不思議なことに褒めると、
良い花を咲かせる。 それに本当に言葉が聞こえているのか?と
疑いたくなるような事もある、植物は思いもよらぬ裏切りで驚かす
からだ、それが良い裏切りの場合もそうでない場合もある。それは
慢心な自分への嗜めであり、警告なのです。
植物を育てるのは、一般的な感覚で、子育てとよく似ていると思う。
自分の思うようにはならないし、自分の裁量でどうにでもできるが
最低の約束事さえ守ってやれば、いつかは感動を与えてくれます。
私が留置所に入っていた時、心配していたのは植物のことだった、
「早く水をやらないと枯れてしまう」と、そればかりを考えていた。
レオンという映画の主人公もそうだったように私もそうだった。レ
オンの主人公ほど不器用ではないと思うが、私も似たようなタイプ
なのかもしれない どこかに人間不信なところがある、私の悪いと
ころだ。私は都会に住む人間ではない事だけは分かっている、私が
田舎で住むときは手元にある盆栽も大地におろそうと思っている。
盆栽という限られた条件の中でカタワな植物を栽培する行為、これ
は「同病相哀れむ」そのもの、かもしれないからだ。