種からの教え

実家から帰ってきた。
この週末天気が良くなかったので、あまり作業ははかどらなかった、
それでも植物の話をしていると心が和む。
この時期は皐月の最盛期、花柄取りや植え替えなどで忙しい。
実家には小さな庭と、2Fのロッジアと屋上に、植物を育てている。
盆栽も100鉢ほどあるが、商品にできるようなモノはない。
枯れかかって捨てられていたようなモノを、安く払い下げてもらった
り、どこかの庭園や旅行先から一枝失敬してきて、さし木で大きくし
たようなモノばかり。
弟に言わせれば「大英博物館も真っ青だね〜」なんて、からかわれる。

そんな植物たちだから一本一本に思い出がある。
このところ「慶雲館、静香、酒中花」の顔色が悪い。
慶雲館」・・父の古希のお祝いで家族旅行で宿泊した宿。そこの
       貸切風呂の横にある休憩所(喫煙所)の脇に生えて
       いた大きな山モミジの実生。
「静香」・・・2回目に父と鹿沼皐月祭りへ行った際購入。
       アザレアの混じる最新花。
「酒中花」・・大宮にある青葉園という霊園に毎年墓参りをする。
       そこの垣根の一枝を失敬してきた。
       複倫種を集めていた時期に採取。
       他に「小金錦」「一生の春」。
       当の酒中花は、赤い綺麗な朱色の複倫を呈すが、性が
       つる性であり別種ではないかと思われる。

大きな声では言えない事も了解しているが、父の名誉のために書く。
一枝失敬と書けば、何か大それた事をしているように思われるかもし
れないが、我々が採取するのは5cmにも満たない枝先の一部である、
花後には剪定されてしまう部分なのである。尾瀬のような場所や商品
や、花壇に咲く今が盛りのチューリップの花を摘むといった部類の行
為とは全く異質のものである。

植物たちは我々に突然の別れをする時がある。植物にとっては突然では
ないのだろうが、我々が気付くのがそうなった状態であり、それを察知
できない程度であることに反省させられるものだ。
また、驚きのプレゼントも時々してくれる。平林寺で拾ってきたモミジ
の種を蒔いたのが一昨年の秋。何本か実生になり鉢をそのままにしてお
いたところ、今年も一本発芽があった。つまりその種は一年間も鉢の中
で種のままだったのだ。これはどの植物にもある危機回避のための遺伝
子情報らしいが、そういった植物や生命の力強さをたった一つの種から
教わる事もある。

私も「強く生きていかねばな」と、教えられるのだ。

110778(245) 25日  26日AM0時55分