沖縄ビーチ
上空から見る沖縄の海は想像以上だった。
ただ青いとか綺麗という表現では言い表せない「美しさ」である。
地上からの目線では感じえぬ感情、それは現在の若い日本人は
忘れてしまっているかもしれないが、この海は過去において最も
多くの軍神が散った海。あの靖国に祭られている軍神たちも、最期に
この景色を見ながら、国を憂いながら若い命を捧げていったのだろう
と思うとひとしお感慨なのである。
世界で一番の透明度を誇る海水と、火山の無い島独特の白ちゃけた土、
それを取り巻くさんご礁の入り組んだ地形、それを引き立てる白い波
やビーチの海岸線。
私も特攻隊ほどではないが、そのくらいの気持ちにて挑んでいた。
かの地が豊穣の大地ではないにしろ、その価値があるのなら、もう関東
には還らないつもりでいたのであった。またそのくらいのモチベーション
がなければ改革も制圧も成せる筈などないからである。
・
一つの職場を医者と患者の関係で模してみたい。
医師が医師であること、患者が患者であること、その認識が大事なのだ。
何かの病気になったとしよう、患者は病気の原因を薄々感づいているかも
しれないし自然治癒を試みているのかもしれない。効きそうな薬を探し
求めているかもしれない、だが結局は完治できないから病院を頼るのである。
自分で完治できるものならとっくに健全な状態になっているからだ。
・
ところが、患者にその自覚がなければ話は違ってくる。
重篤な状態になるまで医師の言葉など聞きたくも無いものだ。
形作り程度はするだろうが、根本的な要因を本気で改善したいとは思わない。
そしてその特徴として動きはスローリー(ロリではない)である。
その結果、傷は悪化し手の施しようのないターミナルな状態となる。
・
(オイ、真面目くさって読んでるなよ、ジョークの時は笑えよ。)
・
医者もしかりであって、自らが医者である事を相手に知らせなければ、
相手は信頼するどころか「何このオッサン」としか思わない。
オッサンがいくら力説しようとも「うるせぇよ俺の考えもあるんだ」と、
心の中では思うのが普通ではなかろうか。
良薬は口に苦しの例えのように、苦言は企業にとってのカンフル剤なのにである。
・
全体の意思の疎通、そういったものがなければ、あらゆる場面において
空回り、誤解、疑心、が出現し対人関係に悪影響を及ぼす。
一つの意見を出すだけにも注意をしながら遠慮がちに喋る必要がでてくる。
ブレーンストーミングならいざ知らず、通常は立場というものもあるから、
越権行為であると主張してきたり、見解の違った報告があったり、また
せっかくの好意を裏心と思われてしまったり、暗中模索の様を呈すのだ。
挙句の果てには、提言する者そのものが、内部を撹乱する曲者と訝しがられる。
・
だが、これらは宿命的な事でもある。
何故そうなるかもすべて分かっている。
答えは簡単、先の見えないゴールに不安と欲が交錯しているからである。
医者と患者に例えるなら、患者は「この病は治るのか?治せるのか?」であり、
対し医者は「本気で治したいか?全面的に治療に協力する気はあるのか?」だ。
「その病院の看護婦はヤラせてくれるのか?」は、余裕があったら思えばいい。
・
そしてその大元になる方針の開示、これがないと全ては水泡に帰す恐れがある。
このままでいいのか。
応急処置だけでいいのか。
生かすのか、殺すのか。
殺すならどんな方法で、どんな状態に。
生かすならどのくらい元気にさせるか。
生かした後はどうするのか。
それら全ての方針を知らないと、その先へ駒を進めることはできない。
方針によっては、手法がそれぞれ違うからだ。
・
うーん、ちょっと良くない。
今日は久しぶりのブログなので、思っていることが上手く書けない。
こんなありきたりな中学生の作文では・・・
文体を変えてみよう。
・
つまりだな、俺も悪かった点をいくつか反省してるって事を言いたいんだよ。
スタートの時点で聞くべき事を聞かないで、想像だけで沖縄に行っちまったからさ。
とりあえずカンフル剤を処方できる専門医に診てもらってから考える事にしたんだよ。
・
俺は何様かって?
俺は医者じゃねぇよ、ただのHなおじさんよ。
少なくとも相手には、そんな風にしかみえなかっただろうな。
そこが俺の甘さってのかね、当然察してくれると勘違いしていたのさ。
だってさ、会ったこともない相手や、見たことも無い会社を立て直そうと乗り込んで
行くんだぜ、やる自信がなけりゃ初めから行かないだろ?
少ない情報の中で、ピンポイントで医者を選抜し、更にその医者を動かした能力だ
けででも判断して欲しかっんだよな本当は。
俺もそれだけ建て直しとかその業界に、ある意味それ以上に精通してるって事だよ。
専門の事は詳しくは分からないが、共通する重要部分は同じな筈だからね。
・
単なるAV監督だったなら、そんな事はできないよ。
AV監督なんてモンは女の良し悪しとか、どんな作品だったらユーザーが満足するかとか、
そんな程度だよ、会社の建て直しなんて無理も無理、やる奴なんていないだろうな。
つまり俺はたまたま「沖本猛」なんて名前があるもんで、相手もそっちに目がいってしま
い、俺をAVを撮ることしか出来ない低脳な危険人物だと思っていたんだよ。
それにAV監督なんざ腐るほど沢山いるし、俺なんてごく一部のマニアにしか知られてない
無名監督もいいところ、そんな看板で俺を誤認評価しないで欲しかった。
・
AV以前の俺を知らないだろうから、無理はないと思うが、仮に俺の過去を言ったところで
妙な自己満アピールにでもなってしまうだろうと思い、そのうち話そうと思っていた。
話を何度かして解ってくれた人もいたけど、まだまだ不十分だろうよ。
いいか、もう一度説明するが、
「気違いのフリをして、あれだけの悪態で女を口説ける作品を作れるってことは、
その逆も出来るってこと、むしろその逆のほうが簡単なんだよ。
そして俺の持ち味は、女だけではなく男も同じなんだよ、つまり正しい正義の言葉や
感覚を女、男に関係なく、対人間として本当を伝えていけるという事なんだよ。」
それがなくちゃ潰れ掛けた会社なんて、元には戻らないよ。
医者がどんなに良い薬を使おうが、患者に治る気がなけりゃダメと同じ。
正常化バイアスの見直しで、悪循環のスパイラルを打破し、意識の向上とその継続。
それを共に実践することによって初めて人は生まれ変われるんだ。
ここが一番肝心なんだよ、言うだけなら誰でもできるんだ、自らが実行して手本を見せ
なきゃ元に戻ってしまうんだ。
それが人間なんだよ、人間なんて所詮は怠けたい生き物なんだから。
意識改革なんて言ってるが、実はやり慣れない事柄を強制的にやらせ、それを習慣づけ
させる事よ。そうすりゃ自然とその為にはどうすればいいと考えだすだろ。
日本民族は、「何かに従いたい」と思いたがる民族だからね、その習性を応用するのさ。
・
良い言葉があるから書いておこう。
「やってみせ、させてみせ、褒めてやらなきゃ人は動かん」(五十六)
・
指示待ち人間でも、やらせっ放しでも、甘いだけでも、厳しいだけでも、ダメ、
押し付けはなお最悪。そのタイミングを計れないと、全ては裏目にでるぜ。
繊細な観察力と、笑って人を殺せるくらいの冷徹さを備えてないと自分が潰れるよ。
それに機転というのかな、常識の外にある意表をつくアイデアみたいなのもね。
それと、当たり前かもしれないが、情報収集力と誰もが認める行動力もね。
「いい変人になれ、はじめの直感は信じろ」
と、俺の師匠の一人はそう教えてくれたよ。
・
さて、ついストレスが溜まっていたんで、思うように書きなぐってしまった
が、ここまでを読み直してみて、
「じゃあ、アンタ何ができるの?」と質問されたとしよう。
んーそうだな、今のところ特になしかな。
フフフ、「ガクッ」って音が聞こえたぜ、「ヌチャッ」だったら色っぽいのによ。
えっ?!って思うってか?
だから手前勝手だって言ってるんだよ!
ブラックジャックほどではないが、俺も過去には「あの人あり」と言われた人間さ、
それなりの環境と条件を満たしてくれればいいさ。
ちなみに俺ぐらい安い者もたぶんいないと思うけどな。
・
この辺で、過去の一部をおさらいしておこう。
既にブログに書いて重複する部分もあるが、改めて違う角度から解釈して欲しい。
テーマは「日本一」
・
20代の初め頃、吉原のあるソープランドに勤務していた。
「シャッターを開けるとお客さんが並んでいるのは本当です」という、宣伝文句が
事実通りの忙しい店だった。日本一の集客数だった。
遅番のフロントを切盛りしていたのが私ともう1人(店長)、店長は女の控え室にて
女管理をする仕事もあったので、フロントの殆どの業務は私がやっていた。
煩雑な料金システム、来客の接待、その間に鳴る電話対応、売り上げ日報、ETC。
電話など3本同時に受けながら、目の前の来客と駆引きをしながらの営業だった。
ここで言いたいのは何かといえば、日本一のソープで客をさばいていた私は、今にして
思えば当時日本一のレベルにある店員の1人だったのではないかという事。
(電話対応などお手のもの)
・
20代なかば、ある有名実業家の秘書をしていた。
その人脈たるや、上は歴代の総理から、日本のドンまで。
その実業家はヤクザ付き合いが好きな人だったので、私の仕事の多くはそれに関する
内容であり、その仕事内容は相当過酷なものだった。
「あそこで勤め上げる事ができれば、どんな政治家の秘書だろうとヤクザの親分の
付き人であろうとできるだろう」と、業界内では噂だった。
その実業家は今回の東京都知事選にも出馬した人物。
私はそこで3年勤めた(通常は3ヶ月もたない)
だから私は、その業界においては日本一の秘書だった。
言い換えれば、日本一のお人よし、日本一のパシリでもあったわけだね(笑)
(人間関係の観察や立ち回りの勉強)
・
30代、
弁当を売り歩く「引き売り」の会社で勤務。
創始者はこれまた有名人、どのくらい有名人かっていえば、その人の同級生
(仮にその同級生をヤスさんとしよう)
ヤスさんが、その人を真似て同じように弁当屋を後発ではじめた。
そのヤスさんは今では大手コンビニに弁当を納品する会社にまで成長し
総資産何千億の大会社の社長になってるよ。
話は戻るが、創始者は大きな食品事故をおこし、今から30年前の金額で70億
(現在で換算すると数百億)の負債をかかえ海外に逃亡していた。
そしてほとぼりの覚めた頃帰国し、再起を図り弁当業を再開したのだった。
だから私が勤めた当時は、廃業した銭湯が職場で従業員の殆どは違法就労の中国人。
床にはネズミが運動会みたいな惨状だったよ。
創始者と私とは金銭的な貸借があった(私が貸していた)。元々はそんな関係
だったが、創始者の熱意に打たれ仕事を手伝ったのだ。
何しろ私以外に調理師免許をもってる者もなく、呆きれることの方が多かった。
そこで私も寝る時間を惜しんで仕事をし、改善につぐ改善をしていった。
メニューの見直しから、仕入れ、調理、コースの営業開発、新人育成と全力をつく
した。おかげで、いつの間にか「お宅は台東区一の引き売り弁当店」と保険所からも
言われるようになった。
台東区とは弁当業界の激戦区、そこで一番てことは日本一の引き売り弁当って事
じゃないだろうか?私の貢献度もかなりだったと思うよ。一例をあげると、
よく今でも上野近辺で店先にワゴンをだして弁当を売ってる店がある。
その値段に「全品500円」てなってないかな?あの値段設定も私の発案だよ。
のり弁も、から揚げも、日替わりも、ぜーんぶ500円にした。
原価計算よりも、忙しい昼時にワンコインの手軽さでの作業効率を狙ったんだ。
(作業効率のことなら任せてちょうだいね)
・
30代後半〜40代前半
取立て業務の一環で、ひょんな事からAV業界に参入してしまう。
AV業界といっても職種はいろいろあってね、その中のプロダクションという仕事。
プロダクションというのは、女をストックする場所、そしてその女たちの仕事を
探すという女管理と営業職の色合いの強い職業。
その業界で渡り合って、4,5年やったかな。その間に3回(3箇所)の潰れかけた
プロダクションを立て直すことに成功した。その会社に入り込んで営業をしまくった。
今でもそのうちの2つの会社の社長はベンツだよ。
だからこれだけは自負しているが、そんなことの出来る奴は俺しかいないだろ。
プロダクション業界においては、当時日本一の建て直し屋だったと思う。
まあ、時代もよかったからね。
数々の伝説はその当時の出来事が多いかな、当時は沖本もまだ存在してなかったし。
TVや雑誌で全国的に知れ渡ったような事柄もこの時期のもの。
日本一愚かな結婚式をしたのは、何を隠そうこの私です。
だから私の名前が業界で通るのは、沖本よりも本名のほうだと思うな。
(仕事の組み立て全般、成功への軌道を勉強)
・
40代半ば〜
AV業界の中の、AV監督「沖本猛」になる。
「知恵のある奴は知恵をだせ、金のある奴は金を出せ、無い奴は汗を出せ」
ではないが、何も無い私がつい勢い余って服まで脱いでしまって登場したのが
沖本猛なのである。
突飛な発想の作風で、一時的には注目もされたが今では昔の人。
今でもその名残があるので、いくつか書き足しておこう。
「HEY動画」というサイトがある、海外サーバーでモザイクなしを視聴できるという
サイトである。現在ではモザイクなしなんて価値ないだろうが、私が注目している
のはそこではない。そこのコメント数(ユーザーの関心度)では今でも一位だよ。
だから今でも私が作る作品は、マニアに支持されるんじゃないかと思っている。
そしてそこでの販売価格はダントツの一位、100円で売ってる。当時は日本一安く
モザイクなしを販売していると思っていたが、今じゃ無料の商品も多いからね。
当時からそうだったが、100円の売り上げに対し還元される割合は30パーセント。
つまり私は30円で世界にチンポ晒し続けている超々愚か者ってことさ(笑)
(ユーザーへのプレゼン成功例)
.
あと忘れてはならないのがバッキー事件。
「バッキー 沖本猛、AV」で検索してみるがいい。
もう風化しつつある事件だが、当時は私もだいぶ叩かれたし、人にも去られた。
作風的に私のライバルだったバッキーに、私のデモテープを送った事がある。
「うちではこんな作品撮ってますよ、アンタらにできるかな?」
「他にもアイデアあるぜ、そのアイデアを買わんかね?」みたいな文章を添えて。
では何故、ライバル会社にアイデアなんか教えたりする必要があったのだろうか?
こっから先は妄想の話だが、私は片手まで撮影済みの女をメーカーに売り込み、
小さくプロダクション業務も撮影業務と平行してやっていた。
売り込み先は、SNの志摩プランニングや、スカトロのギガ、アルファーインター、
など、蒼々たるキワモノメーカーだった。
その中の一つにバッキーもあったのだった。
だから表向きには、取引先の一つにアイデアという「塩」を送ったといえる。
だがその真意は?と、多くの取材を受けたものである。
ライバルを潰すためにやったのではないか?
つまり、そんな事を本当にやってしまってはいずれ事故が起き事件になる。
それを計算の上でデモテープを送りつけ、恐ろしい撮影を彼らが実行するように
誘発した。デモテープはワザとアイデアをパクらせる為の罠だったのではないか?
といったような憶測で。
・
もしそれが本当なら、私はとんでもない非情な策略家であり、それこそ日本一
冷酷なAV監督ってことになる。
それに対し私は答える事ができない、何故ならその当時私は狂っていたからだ。
だから記憶も曖昧な部分が多い、テープもバッキーではなくナチュラルハイの
若林?というような名前の男だったような記憶もある。
何にせよ嫌な時期だった。
僅か2.3年の間に警察沙汰が10件以上(それぞれ別件で)もあり精神的にも
かなり参っていた頃だった。
↑
あっ、それでいま思いついたんだけど、短期間に警察と関わった回数でいえば、
それも日本のAV監督では日本一だったりしないかな?
いやいや、話せば話すほどボロがでてしまう。
ブログの本題を逸脱して、妙な日本一自慢大会になってしまったよ。
(悪強き者、善もまた強し)と言う事にしておいて下さい。
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最期に私の今の状態。
何も隠すことはない、最近のブログを読んでくれればいい。
金銭面では借金はないものの、ただの貧乏人。
女関係、まるで縁なし、今年はまだ童貞、とっても清いカラダです。
仕事、必要としてくれるならやります。ただし諸刃の剣です。
なりたい人物像、普通の人になりたいです、ただのオッサンと見られたいです。
精神面、とても傷つきやすく、尚たいへんな小心者です。
うつ、パラノイア、アスペガー、などの気があると思います。
・
まぁざっと、こんなんが私の正体です。
これを過大評価しようと、過小評価しようとどうでも結構です。
小さな田舎町で、ひっそりと暮らし、人が喜ぶような仕事をしていたいのが
私のささやかな夢なのです。
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そして余裕があったなら、沖縄のような南国でガールハント。
ビーチには赤貝、あわび、ヤシガニ、なんてパラダイスなんだろう!
その為には、まだこれからも修羅をくぐらないとならないんかね?
何時になったら私は平穏を手にすることが出来るのだろう?
誰か助けて!!!
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274010 H24 10月23日 AM10時25分