車窓

遠い記憶、蒸気機関車からディーゼルへ移行しはじめた時代だったのか?
たぶん、私が生まれたか、まだ生まれる以前の情景だったように思う。
その場面はセピア色のような、白黒のようなボヤケた色だった。

駅で私と父が列車に乗り込むと座席が2つだけ空いていた。
私は窓側に向かって座っていたように思う。

列車の車窓は春の野山の景色であった。
河を越えるその河の土手に桜並木があり、
土手を正面に見るその一瞬だけ、視界一面が鮮やかなピンク色になった。
父が言った
「お母さんたち見えるかな?、あーいたいた」
列車の向かう先の方向に、小さく母と弟と妹が歩いているのが見えた。

列車はすぐに母たちを追い越したが、
弟(3歳くらい)が、列車を追って走ってきた、
弟は私のいる窓のすぐ傍まできて、列車と並走しているがなかなか追いつかない。
弟が何か言っていたが、何を言っていたのか思い出せない。
私は、列車が遅いのか?弟が速いのか?、どちらなのだろう?
などと思っていた。

そのとき乗客の1人で中年の女性が、
「こんなことは、めったにあるものじゃない、特別な事ですね」
と、わけの分からないことを言った。

その女性は「島田ちあき」さんという見知らぬ女性。だがその名前を
いつ知ったかは謎。(リアルにもそのような知人はいない)
私はその島田さんと何か口論をしていた。
そして、その島田さんの胸元が大きくはだけており、その胸は張りがなく、
少し垂れ気味だったことが、妙に癇に障ったのを記憶している。
(そんなものを見せびらかしてるつもりかよ、と。)

私と島田さんは、島田さんが列車をおりるその時まで口論をしていたように思う。
島田さんが列車を降りようとしたせつな、
私は島田さんの顔にツバを吐きかけた。
すると島田さんは、私のツバのかかった顔を拭きもせず
「この呉服屋が!!」と、私に怒声を浴びせた。

島田さんをホームに残し列車はゆっくり走り出している。
「嫌なババアだった、やっと降りてくれてよかった」
と思っていると、
今度は島田さんが列車を追って走ってくる、
鬼のような形相で、こちらに向かって走ってくる。
そのスピードの速い事!
島田さんに追いつかれたら、どんな仕打ちをされるのかとハラハラした。

島田さんはたぶん列車に飛び乗ったのだろう、
ああまずい事になったぞ、どうするか??
と、目をつぶって思案し、目を開けると別の場面になっていた。

時系列は更に遠い過去。
私は知らない男性5〜6人で、小さなボートのような小船に乗せられている。
皆の服装は現代の洋服ではなく、着物のようなものだったように思う。
着物の色は全員灰色っぽかったと記憶している。
全員両手足を荒縄のような紐で拘束されて身動きがとれない。
その小船は海のような場所を進んでおり、
どこかの離れ小島へ私たちを運んでいるようだった。

時代劇などでよくある、島流しにされる囚人の風景を思い浮かべてくれれ
ばいい。
熊野の補陀洛渡海といった決意や絶望感があるわけではなく、
「何処に行くのだろう?たぶん島流しだろう」
「その地に行けばなんとかなるだろう」みたいな、焦燥ではなく、
もっと自堕落的な感情であったのを記憶している。

そのうちに誰かの服に、釣り糸のようなものが引っかかった。
釣り糸の先には、釣り針もついており、
「これがあれば、魚を釣って飢えを凌げる」と、
希望をもったのを覚えている。

やがて他の皆は、自分で手足の戒めを解いてどこかへ行ってしまったが、
私だけは縄を解くことができず、1人小船に取り残されて漂っている。

(その場面を私が別の場所から見ているという構図)

小船は波に揺られながら岩場の岩にぶつかる。
ここで時系列が現代にもどり、
岩場には数人の現代の服装をした釣り人が。

「おい、どっかいけよ!」と、釣り人。
釣り場に迷い込んだボートと、その中にいる知らない男(私ではない)
を見ながら釣り人たちが迷惑そうな顔でみている。

その場面で夢は終わる。
今回も夢独特の、素早い場面展開とつじつまの合わない不思議さがあり、
これといった意味はないと思う。
意味はまったくないのだろうが、久しくTVを観る習慣のない私が、こんな
               (オリンピックも見てません)
時代がかった夢をみるのも面白いなと、
ひょっとして、これは私の遠い御先祖の記憶の一部じゃないかって考えると
更に面白いなって思って書いてみた。
(あるわけないか笑!)


ライスシャワー

ついでだから昨日の、「またやっちまったぜ」も書いておこう。

今度は米。
安いコメを一袋買ってきたんだよ、重たい思いをしながらさ。
それでさ、
古いほうがもう終わりそうなんで、そっちの袋に移しかえようとしてたんだよね。
何で移し変えようかと?
古いほうの袋には、市販のキャップを取り付けてあるからさ、
よく100キンで売ってるやつ、コメ袋につけるキャップね。
それに、その袋は「新潟産コシヒカリ」だったから。

(特に来客があるわけじゃなし、ましてや台所のコメの銘柄なんぞ、誰が見るわけ
でもないんだが、そのくらいの見得は俺にもはらさせてくれ。)

古いほうの袋を下にして、買ってきたコメの袋の先っぽをちょっと切って、
サラサラ・・・ってコメを移し変えていたんだよ。
始めのうちは調子よかったんだが、ときどき詰まるんだよ、
それでも根気良く、サラサラサラ・・・ってね。

こっちは持病の腰痛をおして中腰で作業している。
それでもまぁ、「おコメはお百姓さんが八十八の手間をかけて作るから米と書く」
なんて聞いてそだったからさ、
「オコメとオメコは大事にしなきゃバチが当たる」
なんて、不埒な妄想もちょっとだけありで、サラサラってね。

半分以上は移し変えたかな、2,3粒、こぼれたやつもキチンと拾った。
あともう少しで移し終わりってころだったよ、
手元が狂って、ザラザラザラと床に撒き散らしてしまった!

数粒ならいいが、こんなに多いと拾うのも、また拾った米を洗うのもたいへん。
だって床には目に見えないゴミや、ホコリや、髪の毛だってある。
それに冷蔵庫の下に入ってしまった米だってたくさんあった。
それでも拾えるコメは拾ったよ。
さすがに八十八の手間だけあるぜ、人間の女だって六十九の手間しかからん。
この作業、割と手ごわいぞと、
まだその時は余裕があったんだ。

そして最後の仕上げ。

コシヒカリ袋をしっかりと安定するよう座らせて、安米の残り米を一気に
サラサラ・・・ってやったつもりだったんだ。
ところがさ、
コシヒカリ袋の根性なしめが、口を下にクニャと曲げやがったおかげで、
殆どの米と、せっかっく移し変えた米までもが、ドバッと床面に!!

これを許すわけにはいかんだろ?
私はね、ご飯食べる際に一粒の米も茶碗に残さず食べるんだよ。
そのように行儀良く育てられたからね、
そのくらいコメは大事にしてきたつもりさ、
それがどうだ?
こんなに床面に散らかったんじゃ、それこそ食う前からの無駄、
俺に食うなと、
「お前になんか食われるモンか」と、
まるでコメに馬鹿にされているような怒りを感じたんだよ。

そこでまたやっちまったのさ、
「馬鹿ヤロウ!!」
とばかりに、安コメのほうの袋で、コシヒカリ袋を引っぱたいたんだよ。
そしたらさ、
なんとまあ、安コメの袋の底が抜けちゃってさ・・・
(これだから安物は困るぜ)

台所の辺り一面は安コメが散らばり、いつかのゆで卵事件の再来となってしまった。
まったく、またまた掃除が面倒だったぜ。
でもな、あれだぜ。
袋を引っぱたいて、コメが飛び散った瞬間、
あの瞬間のライスシャワーは、なんか今までに無い快感だったぜ。
コメが体に降りかかる感覚って、悪いもんじゃないと感じたよ。

反省として、
いつもの短気で食いモンを粗末にしてしまったが、
ライスシャワーは、何も結婚式のときだけの特権でもないような、
別の何かに応用できるような、
そんな気がしている。

267081   H24 9月4日  AM9時50分