里帰り

8日は誕生日だったのであまり詳しく書けなかった。
さっき8日の日記を読んで、これでは誤解を招きかねないと
思いもう一度今回の件に触れることにした。

障害児を預かる仕事のバイトをしていたわけだが、その職場
を急遽辞めてしまった。
いつ辞めようかと思ってはいたが、居心地が良かったのでつい
つい長居をしてしまっていた事と、もう少し工夫をすればもっと
良い会社になるので、そのおせっかいをしたいとも思っていた。

辞めた直接の原因は前回に記したとうりである。
が、読みようによっては不名誉、不本意、不実であってしまう。
そこで自分の名誉のためにも書く事にした。
本来、私は過ぎた事柄をいちいち正当化しようとする事は好まない。
今もあまり乗り気ではない、しかし書いておかねば今後この業界で
やっていくうえでマイナス要素となるだろうから弁明をする。

しかしながらなんとも気がすすまない。
作為的なものは別として私の日記は、あったままや感じたままを
書いている。だからこそどんな事柄を書こうと日にちが経てば思い出
となり、ドロドロとした内容のものさえ清涼感や潔さのような
感度を演出できるのである。
それに引換え、私が書こうとしている内容は自分の日記への訂正。
つまり言い訳。
「あったままや感じたまま」を書いた8日の日記への訂正。
言い訳をすればするほど、また巧妙であればあるほど、それはそのまま
そっくり「嘘」ってのが世の相場である。
そういった曝け出しを惜しんでいる自分と、「そんな事しか書く事が
ないのか」とか、できれば苦悩を本当に解って欲しいという縋るよう
な気持ちも交錯している。
一言で書くなら「あなた方の直感は正しかったんだよ」ということ。

「あなた方の直感は正しかったんだよ」と、書かれても読んでいる方
には??だろうから、事の発端を書いてゆく事にする。

障害のある子を預かる仕事。
障害というものは、大きく分けて3つに分けられている。

1つは、身体的な障害。
2つ目は精神的な障害。
3つ目は知的な障害。
私がバイトしていた会社は、3つ目の知的な障害をもっている子供
たちを預かる施設だった。
知的な障害と一口に言っても様々なので、「知能の劣っている子」と
、この場は解釈してもらいたい。
どの程度?と問われても個々により様々なので、今回は今から登場する
2名の特徴だけを書くとする。
A子ちゃんは高校1年生、一見普通の高校生である。会話や日常生活が
でき、好きなタレントの切り抜きを集めたりもしてる。以前までは
普通の学校に通学してたらしい、だから程度でいえば普通の子にちょ
っと追いつけないといった程度の障害児である。
B子ちゃんは高校3年生、これまた一見普通の高校生であるがこの子
は会話ができない、相手の言っている事はかなり理解するが自分の
意思を伝える手段をもたない。身振りや表情で自分の感情を表すが、
知能は小学生以下であるとされている。元気に走ったり遊んだり、目だ
った身体的な障害はなさそうに見えるが、彼女は脳に障害をもっており
自分では排泄の処理もできない。

この2名が、今回私がこの職場を去るきっかけとなった子たちである。

私がこの子達に何をしたのか?
想像豊かな皆さんのことだから、私が何をしたかなんて・・・・
私の日記を前から読んでいる方なら、察しはつくだろう?
と、言いたいところだけど、今回は違うよー。
がっかりさせて悪いが、たいした事は何もしてない。
ただ、皆さんもそうだったと思うが、こういった書き方をすると一瞬
でも私を疑わなかったかな?
そこが今回のミソなんだよ。
AVの頃を読んで私を知っている皆さん。
介護を志す頃を読んで私を知る皆さん。
素の私を知っている皆さん。
「察しがつくだろう?」と問われて三者三様の反応だったと思う。

思い返せば、私は肝心の私自身に引け目を感じていたんだと思う。
そこが事の顛末だったというか、悔やまれる点であり、こうしてダラ
ダラと言い訳めいた日記を書くハメになっているのである。
これも自業自得というかつまらん失敗談というか。
ま、愚痴を言っても始まらないので話を進めます。

この会社の理念は素晴らしいものだった。
「子供たちの好きな事をさせる」というものであり、余程の危険な
行為や社会通念に反する事柄でない限り、職員はそれを見守り子供
たちの意思を尊重するというものだった。そして子供たちの職員に
対する「甘え」も認められていた。
通常こういった業界では、「甘え」は御法度なのだ。ハグや抱っこ
といった行為でさえ敬遠され、ほっぺにチューなど論外なのだ。
ところがこの会社では「甘え」を認めていた。実は私がこの会社の
他社と比べて段突に素晴らしいと思っていたのはその一点である。

知能の低い子供たちに「自由に好きな事」をさせて秩序が保てるか?
と、怪訝に思うかもしれないが、実際できているのである。
「好きな事をさせる」と「放任」では全く意味が違うからだ。
中には困った行動をとる子供もいるが、そこは職員の腕。
職員が適切な言葉で指導をすれば、それほど手に余る行動など子供
たちはしないものなのだし、それこそが躾というものだ。
その躾をするために必要なプロセスが「甘え」なのである。
解りやすく例を書いてみる。

砂場で幼い兄弟が遊んでいたとしよう。
兄が弟に「スコップとって」と頼んだら弟は素直に渡すだろう。
でも見知らぬ者が同じように頼んでも素直には渡さない筈だ。
弟はキョトンとして動きを止めるか、兄の判断を待つかだろう。
ここに「甘え」の重要性が隠されているのだ。
弟は物心ついた頃より傍には親や兄がおり、風呂に入るときも
布団に入るときも、きっとどちらかに甘えていただろう。
その甘えの中に遊びがあり、遊びの中に自然と愛情やルールと
いった躾を学んでいたのだ。
それを学習できていたからこそ、信頼のできる兄の言葉に対し
「素直にスコップを渡す」という行動がとれたのである。
弟にとり、同じ言葉であっても兄の言葉と見知らぬ者の言葉で
は別物だ。通常、「別物」と漠然と或いは教育によって、そう
感じているだろうが上記のプロセスを忘れているだけではない
だろうか?
子供がいたり動物を飼っている方には納得していただけると思う
が、こんな理屈は説明されなくとも愛しいと思う相手には誰もが
している事ではないか。それは大人であっても同じだ、好きな異
性に対し甘いのはその理屈ってことですよ。

では話を戻すが、この会社の職員たちはどうだったか?
それは見事にしていた。
子供たちは職員を信頼していたし、職員は子供たちを愛していた。
反則的(威圧的)な職員もいたが、それは躾のための抑止力のような
必要な存在であり暗黙の了解とされていた。
だから毎日ほぼ日程どうりに行動できてもいた。
私はそんな先輩職員をみて
「早くあんな風になりたい、子供たちに慕われたい」と思った。
その為にはどうすればいいか?
私は考えた、とにかく毎日でも子供たちに会うことだ。
そしてただひたすら優しくする事だ。
子供が甘えたいように誘ってやる事だ。(第一段階として)
そう思って毎日に励んだ、
「先輩たちに早く追いつきたい」ただそれだけを思って。

子供たちの中には、もう甘えをあまり必要としない子供もいる。
逆に甘えたいのに甘えられないというタイプもいる。
前者のタイプ、そんな事ありえるとおもうか?健常者の大人だ
って機会があれば対象があれば甘えたいと思うのは普通だ。
ましてや障害児、見かけは歳相応でも知能は小学生以下なのだ甘え
たい盛りなのだ、気丈に振舞っているだけではないのか?
或いは警戒しているだけではないのか?
後者のタイプは、それを暴力という形で表現する場合が多い。
実際に私の対応が問題とされたB子ちゃんもそうだった。

その会社では昼にミーティングがおこなわれ、その中で今日誰が
どの子を担当するかを決める。子供への対応はマンツーマンが基
本とされる。つまり預かる子供が20名いれば、その数だけ職員
もいるという事になる。ただし職員の数が少ない場合は2対1と
いうケースもある。
そして、担当の割り振り方は概ね自己申請である。

なんか話がまわりくどくなって、「どうでもいい」と思ってきたので、
中略する。

A子ちゃんからラブレターをもらった。
私がA子ちゃんを担当したのは、この3ヶ月で1回だけだ。
B子ちゃんが、とてもなつき私にベタベタしだした。
私がB子ちゃんを担当したのも、この3ヶ月で3回だけだ。

会社からクレームが付いたのはこの2点である。
何のことはない、短期間に子供から好かれて何が悪いのだ?
むしろ微笑ましい光景であるし、私の努力を褒めるべきではないのか?
努力といっても何もしてない、子供に好かれるように接しただけだ、その
子供たちに好かれるよう、ある能力を少しだけ使っただけ。
その能力とは、過去の日記「公園(1月31日)」に書いてあるようなもので、
文字に書き表せと言われてもできない。
特に何もやましい事などしていない。
仮に法に抵触するような行為を私がしていたとすれば、逆に子供たちは私を
嫌い、避けるようになる筈だ。

「好かれオーラ」みたいな言葉では言い表せない技、「念」とか「気」かな。
ところが職場の先輩たちは、そんな能力は使えない。
甘えや躾のプロセスもきっと理解してないだろう。
自分たちの従来の方法で、時間をかけ子供たちに信頼されてゆくしかない。
私のような新人が、短期間に子供になつかれるのは納得がいかなかっただろう。
どうしたって納得できなかっただろう、もしかしたら子供たちを物で釣ったり、
いかがわしい行為でもしたのではないか?とも疑っただろう。
そこで、「女の子に対する接し方が相応しくない」と、クレームするしかなか
ったようだ。

私からすれば、なんとレベルの低い言いがかり。
呆れると言うかショックだった。
「どうやったらそんなに好かれるの?」と、質問してくれればよかったのに、
私に対し、新人教育のつもりで先輩風を吹かせたかったのだろう。

「A子ちゃんやB子ちゃんに好かれてしまってすいませんでした。これから
は気を付けて甘えられないように注意します。先輩がたを出し抜いてしまって
申し訳ありませんでした。でも新人の私が好かれるって事は、あなた方先輩は
それほど好かれてないって事ですよね。」
なんて馬鹿なセリフでも言っておけばよかったのだろうか?
あまりにもレベルが低すぎるのだ。
「俺とお前らとは格が違う」ってのが私の本音。

言い訳をする気にもなれなかった。
今後この人達から学ぼうとか、切磋琢磨していこうとかとんでもない。
そこに、いつまでもいる事の愚かさを感じた。

ざっとここまでが、その職場をやめた経緯かな。
正直言って胸糞悪いというか、理不尽というか、話にならないと思っていた。
くそトロイ連中だ、こうも人間力の低い業界なんだな、と。
2.3日はそう思っていた。

やがて怒りが治まり冷静になって考えると、やはり自分は短気で高慢な奴だ、
こんな事だからどこでも長続きしない。
低いなら低いなりにレベルを落とせるよう、自分をコントロールできなければ
宮使いは無理。と、反省した。
そして、何も急に辞める事もなかったなと。
ハナっから低脳と決め付けて論議もしなかったが、それこそあの場で持論を
ぶつけてみるべきだったのでは?
何故、あのような形で職場放棄をしてしまったのか・・・

そこで導き出されたもう一つの考えだが、
私は逃げたのではないか?という結論だった。
では何から逃げたのか、
それは言うまでもなく、私が必死で隠そうとしている私の嫌な匂い。
そういったものを感づかれているのでは?といった恐れ。
ではなかったのだろうか?
例えでいえば、追われてる犯罪者がちょっとした異変にビクついて
、住んでいる家をすぐに引っ越しちゃうあれね。

もう日が経っているので、はっきりとは確信できないが、たぶんあの
時の自分はそういった暴かれたくない気持ちが先立っていたのでは?
まさかの被害妄想だったのかもしれない。
先輩たちも、私を辞めさせようとしてクレームした訳じゃないし、ちょっと
した事で職務放棄をする無責任な人間としか映らなかったかもしれない。

人間は味覚、嗅覚、聴覚、視覚、触覚、この解明されてる五感だけではない。
第六感とか直感、それに言葉にもなってないが不思議な感じる力。
私もそういったものは大事にしているし、時々は使う。
だから今回は「策士策に溺れる」ではないが、自意識過剰って感じで悪い結果
を招いてしまったのかもしれない。
今後は、そういった感覚も含め自分をコントロールするよう意識していこう。

ところで冒頭の「あなた方の直感は正しかったんだよ」の部分の説明だが、
それは子供を守ろうとする親の目線の話。
今回それが誤解であり、その誤解に過剰反応してしまった私という事だが、
その感覚は本来正しいものだし、今後もその感覚で子供たちを守ってあげて
もらいたいものだ。

現在12月28日
あれから20日以上が経ち、私も別の仕事をしている。
私がすぐにできる仕事っていえば、やっぱり女関係の仕事。
戻って来ちまったぜ!!(笑)

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