輪廻
雨が降っている、今日は客人も来ないしゆっくり日記でも書いてみよう。
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先日、兄弟でお金を出し合って母親の古希のお祝いとして、家族で温泉へ
招待した。
部屋は「北岳」という特別室を予約した。以下参照。
http://d.hatena.ne.jp/takeshiokimoto1/20060919
母は「結婚以来の感激」と、喜んでくれた。私は母の笑顔が好きだ。
夕食時には70本のバラとバースデイカード(妹のアイデア)、食後には特
注のバースデイケーキとシャンパン(弟のアイデア)も用意した。
前日にはレコードプレイヤー付のCDステレオと、父親には副賞として貴公
子という種類の皐月を熊谷の業者に取り寄せてもらいプレゼント。
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翌日、宿を後にして2日目の日程は、神代桜という日本三大桜の一つを見に
行った。樹齢2000年以上というその桜は、中央部は既に朽ちていたが脇
から生えた枝に満開の桜花を見事に咲かせていた。
三春の滝桜、那智の薄墨桜に次いで高山神代桜は一見の価値がある。
「桜は散るから美しい」「散る桜、残る桜も、散る桜」など、桜にまつわる
俳句や言葉は多いが、一片の花びらも散ってない満開の神代桜を眺めながら、
両親もこの桜のようにいつまでも長生きしてほしいと私は願った。子を思い
親を思う情は永遠である、どの親も子供に対する思いは同じであろう、そう
考えると私が職業としているAVは・・・手塩に掛けた娘を被写体にしてい
る私は・・・頭が混乱し気が狂いそうな目眩を感じた。桜は人を狂気にする
と何かの本で読んだことがあるが、本当だなと実感した。
その後、近くの寺に行き今度は「舞鶴の松」という、これまた日本最古の
赤松を鑑賞し、帰り道に中央道の一宮インターから下り、一面の桃園の中を
ゆっくりとドライブし、帰途に着いた。有意義な2日間だった。
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桜・・・一般的に花見の対象とされる桜はソメイヨシノである。この品種は
神代桜(エドヒガンという品種と大島桜という品種の掛け合わせ)から生ま
れた桜である。人間の成長と似ており、約20年で成木となり60年で弱り
だし、100年生きる個体は少ないと言われている。日本全体の9割近の数
を占めるソメイヨシノが誕生したのは明治である、その計算からいくとあと
数十年で、殆どの個体は枯れる危険がある。
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3月15日前後参照http://d.hatena.ne.jp/takeshiokimoto1/20070315
この件の顛末もついでに書いておこう。
父親に勘当を言い渡され、困った状態だった私はその週末実家へ行き両親に
迷惑をかけた事を土下座して謝った。そして今している仕事や、そして将来
の構想を正直に話した。そしてあらためて手を付いて非礼を詫びた。
父親は笑いながら「なんのなんの」と言い、母親は「もうそんな、やめてち
ょうだい手を上げて」と、私を許してくれた。
その夜、池袋の事務所に帰った私に母親からメールが届いていた。
「そのように気持ちが動いてくれたことが本当にうれしいです。
浩は園芸が好きだし、きっと身につくと思うよ。
浩は赤ん坊の時から物事に動じない様子だったので
お父さんは”これは大物になるか乞食になるかだ”と
言ってたけど、大物にならなくていいの、普通の人でいいの。
いろいろ今まで回り道をしたみたいだけど、そろそろ
浩の本当の道が見え始めたような気がしてきた。
何か私たちにできる事があれば応援するから
遠慮なく言ってね。」
反省の意味も込めて、母親からの文を訂正せずに記すことにした。
私の本名は浩だ。
まあ、名前のことはどうでもいいが・・・涙が出そうになるほど嬉しいメー
ルだった。
「大物になるか乞食になるか」遥か昔、思い出話として何気なく言われた言
葉であろうが、凡人の私にはプレッシャーだったのだろう、乞食になりたく
ない一心で自分でも気付かぬうちに自分を追い込んでいたのだ。私が意識を
しないで異端な行動をしたり、険しい道を選んだり、それによって何度も挫
折し、またそれを人生の肥しか勲章のように思っていた愚かな私。
それが母親の「普通の人でいいの」という、たったそれだけの言葉で永い呪
縛から開放されたような爽快な気持ちだった。
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今、あなたの子供である私は、あなたの知らない数々の世界で、戻る事ので
きない河を何度か渡ってしまいました。私が今までやったことを、やろうと
している事を全て話せば、きっと卒倒してしまうでしょう。だから私は言い
ません、十字架として背負っていきます、そして少しずつ努力します。
普通の人になってみせます。
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40153 11日 PM6時30分