良心の呵責

今週は収穫の少ない運周りのようだ、こんな時は無理をしてはいけない。
昨日来たスカウトマンと女も、体よく断って帰した。昨日私が編集作業
に追われている忙しい時間に「いい子ですよ〜」とTELがあったので
急いで撮影事務所で待っていたが、来た女は自分が何故ここへ来たのか
も知らなかった、年齢確認証明も所持してなかったので私も大事をとり
「撮影に協力するなら国が発行した身分証明書が必要だね、俺の講習を
受けたいなら前金で3万だよ、ただSEXをしたいだけなら断る、ここ
は売春宿じゃないんだからね」と、逆に金がかかると匂わせて話をした
ところ、やっと女も来る所を間違えた事に気付いたようだった。以前は
ここへ来た女を必ずと言っていいほど、半強制的にAV出演させていた
私であるが、現在はその必要性が全く無い むしろ危険な行為をしよう
とする自分を恐れていたりする。昨日の昼もそうだった、ピンポ〜ンと、
不意の来客にビクッとした。私の潜在意識の中には過去に犯した過ちへ
の良心の呵責が今でも根強く残っているのだ、先月警察に捕まった放火
容疑の件も、「ひょっとしたら俺が本当にやったんじゃなかろうか?」
と、疑心暗鬼のままだ。AVの撮影もそうだろう、私のような内容のも
のを作っていると誤解され易いし遺恨も残すだろう、仮に私の娘が私の
ような者に犯されたと知ったら、私は許さないだろうしその奥に本当に
訴えたい事柄があるとは気付かないだろう。AV関係者は少なからず、
犯罪行為をしているのではないか?という気持ちに怯えているものだ。
私は一犯罪者の犯罪行為という後ろめたい気持ちを打破すべく、AVと
はもっと健全なものであるし、隠さずに楽しもうという発想で取り組ん
でいるのだが、その考えそのものが間違っているかもしれないのだ。
私の考えは、まだ早すぎるのかもしれない いづれ受け入れられる時が
来るかもしれないが、今はまだ早いのかもしれない、だから異端児とし
ての珍しさが一部の者にウケているのかもしれない。
この様に、一見慎重に思える考えは否定論でありプラス要素はない、だ
が今の私には必要である。今のような時は特に必要である。
AM0時50分