500人

1日の感染者が全国で500人を越えた。
いよいよ重症にならないよう願うという気持ちも増してきました。
こんな時は心静かになれないかもしれないが、こんな時こそ心を静めたいものです。
不安になる者、怒る者、祈る者、嘆く者、励ます者、など様々な葛藤があるでしょうが、成るようにしか成らない理不尽な真実というものが世の中であると思っています。
現在もこれから先も大変だけど、どうにか生き延びてその灯りが見えたなら、その先はどう復活してやろうかと、心の牙を研ぎ澄まして静かに待ちたいと思ってます。

「不幸だと思う出来事は、人の温かさを知る機会」とも言います。
今はまだそんな悠長な事も言ってられますが、これからくる疲労感は相当なストレスを生むでしょうから、それに打ち勝つ胆力が必要です、今こそ自分の心に素直に自然に生きるという思いを強く意識すべきと思っています。

収束も終息も見えない、戦いは始まったばかりのような今、どんな形かさえも分からないが再出発の時は来ると期待もしてます。
それまではなるべく人に迷惑のならないよう努力と用心をし、お互いに励まし合っていきたいと思ってます。

どうしても納得いかない気持ちもありますが、不条理に対する確信もありますのでそれを書いてみます。

私は植物関係が好きでガーデニングもやります。
草木に害虫が付けば駆除をします、この時期は新芽に発生するアブラムシに殺虫剤をかけて駆除をします。
では庭全体を1つの星と見立てたらどうでしょう?
生態系の中ではアブラムシも立派な役割をもっているのです。
人間のエゴという理由だけで駆除されるアブラムシからすればなんと理不尽極まりない事ではないでしょうか?
そういった事を人間はやってきました、これからもやってゆくでしょう。
では増えすぎた種に対する問答無用の判決は、地球からすればアブラムシであろうと人間であろうと変わらないのでは?アブラムシも人間も授かった命を懸命に全うしようとする生命という見地からは同じですから。それが自然の摂理だとするなら人が理不尽と思っても無念と思っても争えないものです。「運の良かった者が残る」でしかないのです。
そう考えれば色々な感情はありますが、騒いだところでどうしようもないのです。不条理かもしれないがそれを静かに受け入れようという気にもなれます。

辛辣な表現であるとは重々承知ですが、現実の直視が肝心だと思うのです、努力すべきをして来るかもしれない運命に心の準備をします。
心の準備の中には、終息した暁の次の一歩も忘れていません。

何故なら私は以前から呼吸器系の持病と慢性鼻炎を患ってますし喫煙もしてます。保険証も持っていませんから多少の咳や発熱があっても病院には行きません。普段から咳や倦怠感のある私は、それが感染によるものかどうかも分からないからなのです。よほど重度にならなければ病院にも行かないと思います。咳や嗅覚味覚などニュースでコロナの初期症状を聞くたびにもしやと不安になります。
自業自得ですが感染してしまえば私はつまり最も危険に陥りやすいタイプなのです。
政府に対しても「マスクではなくアビガン配れ」と主張したいところなのです。
ですが私が淘汰される運命であるなら私はそれを受け入れます、地球からすれば私はアブラムシですから。

こんな事ならゼゲンな仕事ばかりではなく、好きな農業植物関係の仕事をもっとしておくんだったとも思ってます。
母にはよく言われてました、「植物や農業のような仕事があんたには合ってるんだから」と。
親の言葉とナスビの花は万に1つも間違いなしってやつですね。
この先の準備をして、人との接触が少ない植物観賞や釣りをして過ごしてみようと思ってます。



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