なりたいが・・・

介護ヘルパースクールの同級生から連絡あり。
同じに卒業して以来、ずっと介護の仕事で働いているそうだ。
延べ勤務日数が二年と半年になるので、あと半年で介護福祉士の資格の
受験資格を得られるそうである。
時が経つのは早いものだ、私など実質勤務期間は半年ほどしかない。
彼とは大きく水を開けられてしまったものである。
今回の彼からの連絡は「同じ職場で働かないか?」とのお誘いだった。

彼はコツコツと介護の仕事に励み次を目指している。
私は理想ばかりを追い求めすぐに脱落している、その時はどんなに良い事を
想おうと日記に記そうと、実際に介護の仕事をしていないのだから、話にも
ならない、所詮は外部者の戯言。
昨日の日記の例でいうなら、私は「やらない女」でしかなかったのである。

ではその彼が現在の介護業界についてどう思っているかといえば、私とほぼ
同じような印象を抱いている。
あまりの介護業界の低脳底辺ぶりに呆れている、いつも仕事場でもイライラし
「なんでこんな職場で仕事をしているんだろう」と思っているらしい。
日々の充実よりも早く資格を取得し、自分の城を持つ事を目標としている。

彼は元々営業マンとして活躍していたそうだ、意思が強く理論的にもしっかり
と筋道をたてて話す事ができ、その面に於いては秀でたものがある。
成績もよく県内の営業マンベストランキング入りもした事のある腕前。
だが優秀な者ほど個性も強いわけであり、上部との衝突も多かったようである。
そんな恵まれない環境や今後の行き詰まり感を憂いで介護業界に新天地を求め
てきたのである。

世間がみる介護業界と、実際の介護の現場とは大きく違う。
おそらくあれ程ギャップの激しい業界も珍しいのではないだろうか。
それは何故かといえば、現場で働くヘルパー2級程度の者たちのレベルがあまり
にもお粗末だからである。
国の方針で超高齢化社会に対応すべく、急遽ヘルパーを増員したのはいいが、
猫も杓子もヘルパー2級の資格を取らせてしまったおかげで、私を含め他の
社会では通用しないようなダメ人間が多く介護業界に混入している。
つまり業界全体が刹那的状態なのである、その日の仕事をするのは生活をする
ための作業と思って従事している者が殆どなのである。
作業ではなく仕事として捉えてゆかなければならないという意識は希薄だ。

本来であれば介護人という博愛精神、自己犠牲精神、そしてより良い業界とする
べくフロンティア精神がなければならない。
また相手が不自由な人間であるのだから、卓越した観察力、洞察力、そして人に
好かれるという基本的に高感度の高い人達の集団であるべきなのだ。

それが実際は猫も杓子もなので、全体的には底辺者の受け皿となっている。
理不尽な規則を「仕方ない」「当たり前」「どうにもできない」と思っている。
それ以前に利用者の立場で考えないから、理不尽な違和感さえ気付いてない。
異を唱えようものなら業界のアウトローとなってしまい、隅のほうへ追いやられる
か、私のように去るしかないのである。
まったく残念な業界なのである。

国が先見の目を持っていたなら、今頃は人材の宝庫となっていただろうが、
それはまだまだ先の話だろう。
今の介護業界には失望が多く、三Kの一つと言われても致し方ないのである。
国も現代の姥捨て山としての位置を確定させる如く、その様な方針である。
代替がないのだから仕方ないかもしれないが、介護業界を「生かさず殺さず」と
いった「吹き溜まりを上手く活用しようとしている」思惑を強く感じられる。
業界で働く者もその門番、看守として役をかってでている傾向にある。
余程の理解者に巡り合い好待遇を受けるか、さもなくば上記の彼のように独立
を目指し我慢し、将来のお金に期待するという価値しかない業界なのである。

「やらない女」である私からは、そう見えるのである。
「やる女」にする手法など、この場合はいくらでもあるのに残念である。

未練を残し辞めてはいるが、私は心の中では復帰したいと思っている。
何時になるか分からないが、その機会が訪れる事を願ってもいる。
これから先、どんな回り道をしようと、人から必要とされたいとか、人のために
何かをやりその嬉しい成果として報酬を受け取れるような、極々一般的ではあるが
そんな普通の社会人に私はなりたいと思っているから。

宅建試験を受けた別の友人からも連絡があり見事に合格したそうだ。
「難関突破おめでとうございます!」
私も次の仕事を成功させなくてはな。

281496(177) H24 12月6日  AM1時35分