緩和

自粛緩和

多くの人は早く仕事や活動を再開したいと思っている。
衛生観念の高い日本において今回の感染はそう恐るに足らないものだとの認識もあった。

だが世論としては恐ろしいものだから避難しようとなり、ロックダウン寸前にまで煽った。
多大なる損失や忍耐を覚悟の体制を維持させようとした努力は評価できる。
日本がロックダウンしなかったのは出来なかっただけ、その法律がないからだ。
だけどそれ相応の体制にまでなったのは、やはり優秀な国民性であると、ここは誇る点であると認識している。

せっかく世の中がそうなったのにその努力を手放しで緩和するというのはナンセンスではないか?
緩和は段階的にするべきであり、その方法は検査をした者からというのが定石ではないだろうか?

私はコロナの治験に参加しようかと思っていた。
皆それぞれ、この自粛期間のなかで自分はどのように貢献すべきかを真剣に考えていだろう。
私はもっと続く闘いだと想定していたから、それならば皆の困っている問題解決のデータの1つに貢献できればと考えたのだ、ワクチンのないウィルスへの治験は確率は低いが裏を引けば死を意味する。
でもそれでいい、それなりの報酬もあるだろうし、それで私が役にたてるのであればいいと。

自粛してる者はただ引きこもっているだけでなく、このような考えの者も多いと思う。
それをただ緩和してしまっては
、自粛と緩和が交互に繰り返されるという状態になってしまわないだろうか?

pcrや抗体などの検査が手軽にできるシステムの構築こそが急務であると思う。
大事なのは火を消すこと、火を消しながらコロナに打ち勝つシステムを導入すること。

私でも思いつくこんな事を、どうしてやらないか?
その疑問の方が私は恐い。