静かな晩秋の夜

よく寝ていたら喉の調子も体調も良くなって来た。

1人暮らしをしていると、つい気弱になり昔を思い出す。
体調の悪いときや疲れているときは、相方もそれなりに気を遣って
くれて、いつもと違う優しさをだしてくれた。
私の大仰な我侭にも応じてくれた。

家庭を持っていた頃もそうだった。
遊びに夢中な子供や、口喧嘩の絶えない前妻でさえ、優しかったものだった。
傍にいるだけで安らげたものだった。

そんな体調のときに優しくされると、妻には今度の休日にはショッピングでも
付き合おうとか、子供にはもっと楽しい遊びを教えてやりたいとか思った。
そして漠然と、これが幸せってやつなのかなぁ?と、思うのであった。

実感はさほど無いものだった。
今にして思えば、あの頃が幸せだったんだと。
体調が優れない折に優しくされるとか、欲しいかった物を手にした時とか、
その時は嬉しいとか、感動といった感情は得られるが、幸せ感ってやつは
どうしても後からしか感じられない気がする。
後になって、初めて「あの頃は〜」というパターンが多いと思うのだ。

家庭があり、仕事があり、健康であり、明日やることがある。
こんな当たり前の幸せを、日々の忙しさの中で生活の一部として見過ごして
しまったいた。
それら全てを失うと、それらは全て幸せのパーツだったと理解できる。
あれもこれも無駄だったと思える事も全てが幸せの欠片であり、鮮やかな
思い出であり、それらの欠片をかき集め凝縮させてみると、それが幸せって
やつの正体だったんだなと。

宗教家の人などは、よくそこを強調する節がある。
何事にも感謝しろ、生きている事にも、生まれてきた事にも、と。
そして必ず「それは神様仏様のおかげです」みたいな一言が付属する。
その一言さえなければ、もっと解り易い、受け入れ易いのでは?

目に見えず、また実態が抽象的な物事を、人は中々真から信じれない。
実体験による教え、または教わる姿勢への教え。
多くの宗教の教えや、いいお話はあくまで参考資料として、人として納得し、
それでいて、心安らぐ、生まれ変われる、人に広めたくなる、ような。
上手く説明できないが、そんな「場」があればいいなと思っている。

名付けて「精神道場」
ちょっと堅苦しいかな?スパルタっぽい匂いもあるし・・・。

これからは間違いなく精神的な充実が求められる時代。
混沌とした不景気な時代にこそ、最もそれは皆が心から渇望しているもの。
・・・そんな商売ができないかな・・・

何もない、全てを失って、独りになり、体調を崩し、
静かな晩秋の夜に、私はそう考えていました。

276485 (153) H24 11月12日  PM11時55分