水仙

まだ本懐ではないが、だいぶ体の具合がよくなってきた。
最近では幻聴もなくなった。
突飛な発想とか不思議な力ってのは、今回はまだなにもない。
ちょっとだけ期待してるが、どうなることやら・・

明日はメイを埋めた場所へ行ってみよう。
あのとき一緒に植えた水仙が、咲いているかもしれない。


ここのところ体調が思わしくなかったので、実家へも2ヶ月ほど
顔をだしてなかった。
実家では私が孤独死でもしてるんじゃないか?と、心配していたそ
うだ。
久しぶりに見る両親の顔は、老けた印象が強かった。
これだから毎週でも両親に会っておかないと、と思うのだ。
そして私の焦りは一段と増す。
両親に孫の顔を見せてやることが出来るのだろうか?
その前に、安定した仕事をして社会復帰ができるのだろうか?
私にはできるのだろうか?
誰もが普通にしているそんな事ができない自分が情けない。

庭で父親と植物の手入れをしているとき、メイの話になった。
「メイに死なれたときは今までで一番辛かった」と言うと
父は「生き物だからな・・・いずれはその苦労をすることになる・・・。」
と言った。
私はこのブログでも書いたが、父は生き物に対し冷たいと思っていたが
そうではなかった。
最後まで面倒をみなくちゃいけない、その時の哀しみを想定してはじめから
情が移らないうちに捨てなさい。そんな苦労を背負い込むなんて。
と、忠告してくれていたのだ。

それはメイの死期が迫り、私が安楽死か自然死のどちらかを何人かに相談し
たときの答えで解っていた。
父の回答は、
「傍にいてやりなさい、最後まで看取ってやるのが責任だ」だった。

父は幼いころ3歳だった弟を病で亡くしている。
多産な時代だったろうに父の兄弟は亡くなった弟を含めて3人だ。
その事が後の子作りに影響したのかもしれない、祖父母がそういう心理に
なったのではないか?とも想像している。
(事実私も前妻が流産してからは、一度もそういう行為はしなかった。)
遺伝というのだろうか、そういった心理みたいなものを感じるのだ。
父は幼心にそんな体験をして成長し、やがて母と結婚する。
この母も広島出身で8歳のときに原爆で家族全員を失っているという過去を
背負っている。
だからかもしれない、父は身内(強いてはペット)の死に対し敏感なのだろう。
それだけ優しいってこと、やっぱり私が敬愛する世界一のオヤジなのだ。

そんなオヤジに、早く親孝行したいな〜とか、安心させたいな〜とか、
愚息は思ってる。

241898   H24 3月15日  AM0時35分