風切羽

雀は衣装用のクリアケースで飼育していた。
餌は米を細かく砕いたのと、ペット屋で売っていた小鳥用、それと
「ひよこ草」これは正式名称を知らないが、雑草の一種で近くの川の土手
に探しに行った。
クリアケースの中に割り箸で止まり木も作り、水浴び用の小皿は小さな灰皿
を代用した。巣と隠れ場所にはザルとマグカップを置いておいた。
雀はピョコピョコとケース内を動き回って、眠るときは止まり木で寝ていた。

室内で飼育していたので、日没時にはクリアケースにタオルをかけ朝には
タオルを外した。
日に日に元気になり傷も癒えてきているようであり、止まり木と餌場への
移動も雀らしく小さな羽ばたきだけで移動するようになっていた。
野生の雀は人間の与えた餌は食べないそうだが、この雀はまだ幼鳥だったせいか
そんな習慣はないようである。

メイは相変わらず執心で、雀が物音を立てる度にクリアケースに近づいたが
私に「メイ!」と叱られると、「ニャ〜」と不満そうな声を出すが、再度
「メイィ!」と叱るとベットの下に隠れるようになった。

この調子だと、あともう僅かで逃がしてやれる。
風切羽がもう少し伸びれば飛べるようになる、そうなればもう大丈夫。
小さな命を助けるという人間のエゴではあるが、それなりの意味はある。
私はここ何日か雀に投影していた。
親鳥から逸れ傷を負って人間に隔離され自由を奪われたこの鳥は、まるで
今の私の立場のようなもの。
仕事をする気が失せ、都会から落ち武者のように越してきた川口。心の傷
を癒すまでひっそりと暮らしていこうと思ったが貯金も底をつき、かと言って
新しい一歩を踏み出そうにもなかなかできず、違う自分へのシフトの努力も
諦め掛けていた。
そんな時に出会ったのがメイであり、メイが咥えてきたのがこの雀である。
死中に活とはよく言ったもので、この小さな命の雀でさえそれが成せるので
あれば、私も今さえ凌げれば自分らしさを取り戻せるのではないか?と。
若隠居のようなこの生活から抜け出す勇気をもらえるのではないかと。
そんな期待も託していたので、この幼鳥を世話したのだ。

外出で部屋を空ける折には、メイが狙っているので雀のクリアケースをラック
の棚に置く。そしてラックの外側を金網で囲い、ラック全体を鳥籠のようにし
ている。
初めのうちこそメイも金網を引っかいたりしていたが、その都度私に叱られる
ので最近では金網にも近づかないようになっていた。
金網を針金で固定し、雀の防護を済ませて週末は実家へでかけた。

この時期は一番好きな季節である。
春の草花が全盛期を過ぎ、初夏に向かい手入れをしなくてはならない。
今回は実家に二泊して、皐月の植え替えを35鉢した。
やはり趣味に没頭できるとは素晴らしいことであり有難い事でもある。
だが私が趣味を堪能していた頃、事件は起きていた。

実家と自宅とは車で20分程度の距離である。
一泊した次の朝、メイの餌やりと雀の様子を見に自宅へ戻ってみた。
メイは相変わらずの甘えん坊っぷりで、玄関の鍵を開ける前から玄関の向こうで
メーメー鳴いていた。
玄関を開けるとメイは体を摺り寄せてきた、まったく可愛い猫である。
「いい子にしてた?」
私は疑いようもなく、いつもの様にそうメイに言って2Fへ上がった。
そして現実を見てしまった。

部屋にはいつかのように羽が散乱していた、そして食い残した片方の翼と
クチバシが転がっていた。
ああ、何て事を・・・・
ズキ〜ンと、頭にトゲが刺さるような痛みを感じた。
メイを叱る気にも、怒りも起こらなかった、ただ取り残されたような呆然と
したショックの中にあった。

これも私の甘さの結果なのである。
金網を止めていた針金は器用に外されていた、そんな器用な真似ができるとは
想像すらしていなかった。もう少し私が用心深い人間であれば、こんな結果には
なってなかっただろう。その甘さが救ってやれた筈の命を救えなかったという
自責の念に駆られる。
ナイーブになっているのかもしれない。
たかが小鳥一匹、しかも元々はメイが咥えてきた獲物。生きた生き物を食料
として処理できたメイの成長を喜んでやるべきでは?

いやいや、今の私はそんな気持ちにはなれない。
仮にも自分を投影していた雀の幼鳥だ、
「持たざる者」として
この世の中は、どっちを向いても残酷だな〜としか思えない。

メイに察せるはずもない、裏腹にも私にまとわりついて甘えている。
仕方ないから私もメイを抱き上げて頭を撫でてやった。(猫の躾はその
行動の現行犯でないと意味をなさないから)

結局のところ、これが現実なのである。
勝った者が強く、生き残った者が正しい。
人の世でもそれは大いに当てはまる。
まったく嫌な世の中ではあるが、私も考え直さねばならないのか?
考え直す時間など、私にあるのか?

163491   H22 6月1日 PM4時10分