感謝と反省

シンメトリーな素質を生まれ持っているのは幸か不幸か?

評価は時代が欲する運気によって、たえず変化しており
人はそのフラクタルな定めの中に翻弄されて生きている。
人間関係上のニッチもまた確立されたものではなく、希少であるシンメ
トリーの才能が短命であるをいいことに、愚劣なる大衆がシンメトリー
を英雄か芸術家と気付く前に、それは燃え尽きているケースが多いのだ
と推測できる。
では、幸か不幸か?やはり時代によって異なるので謎ではないか?

仮に上記のような質問があったとしよう。
「こういう男と付き合ってはいけない」という本の一項目に、例として
自分史を書くような男、という一節があったのを思い出したのだ。

それって、私が書いているこの様な文章の事か?と思ったのだ。
意味合いが違うかもしれなくいが、言い訳を書きたくなった。
重複してしまうが、これは将来の自分への手紙のようなものであり、
虚実や自慢話ではない。それが証拠に私は多くの失敗談、敗北談を誠実
に書くことに躊躇いもない。

しかし、日記にも書けないような十字架を背負っているのも事実だ。
では作中作者の沖本が「助けてくれ」と叫んだところでどうなる?
誰も助けてはくれない、むしろ関わり合うのを拒否するだろう。
私だってそうだ、こんな奴(沖本)とは知り合いにもなりたくないと思
う。
つまり多くの皆さんとは、今後もPC上でしか関わっていかないだろう。
PC上のバーチャルな仮想人物が、勝手に書いているに過ぎないのだ。
それならば自分史ではなくて、一つの物語と思っても良いわけなのだ。

何をもって本当の私と断言できるか自分でも理解してないが、本当の
私と会って一度でも会話をした人なら、きっと分かってくれるだろう。
本当は私は普通の中年男だってことを。

私はずっと前から気付いている、こんな変凡な文章ではあるが時として
共感もしてくれている。私はフラクタルな奴かもしれないが、そんな私
の文章に付き合ってくれている皆さんは、きっとシンメトリーな方々だと。
だから感謝もしているのです。

冒頭に申し上げた質問は、きっとここに大勢おられるシンメトリーな方々
が、同じような悩みや葛藤を抱えてるのでは?と思ったからです。

答えは現在の私の中では謎ですが、それなりの努力はしてみるつもりです。
自分勝手な書きなぐりではなく、たまには感謝の気持ちとして、読んで
癒せる、納得できるようなものも書いてみていと思ってます。
それが出来るくらいなら、とっくに小説家となっているのでしょうが、拙
い私の文章なりにはやってみるつもりです。文章で無理ならば、生き様で
示していこうと考えてます。
あっ、けっして私がシンメトリーな男ってわけじゃないですよ
(とんでもない)

例えば、つい最近見てしまったのですが、人気者のブログ。
写真をベタベタ貼り付けて、文章そのものは「・・・・っ」、「てか」
「ゎ」、「絵文字」、「太文字」、「みたいな〜」が主流で、はっきり
言って私には、何じゃこりゃ?の世界なのです。

でもそれが現在のニーズなんですよね。
私にはそんな真似はできません、何故なら私がよく利用する「・」これは
改行するスペースの方法を知らないからです。ですからそれ以上の技術も
当然持ち合わせてないわけなのです。

この時代にとんだ原始人と思われるでしょうが、それは時代の流れです。
彼らはそうやって新しい文字文化のニッチを誕生させているんですから。
私からすれば不可解な暗号のような文字情報が、彼らには癒しなんですから。
「漢字」が簡略されて、「ひらがな」へなっていった時もそうだったので
しょう。

原始人な私だって、ただの馬鹿ではありませんよ。
昔流行したルービックキューブ、あれを今でも5分以内に6面できます、
その程度の知能はあるんです。
PCも夢中でやれれば人並みに出来るようになるのでしょうが、まったくそ
の気になれないのです。
どちらかといえば機械全般が嫌いなほうでして。
つい最近も携帯電話が壊れてしまい、金がないというのに6万円近いのを買
わされてしまいました。購入して一週間経ちますが、やっとメールが出来る
ようになったというお粗末振りです。未だにカメラの使い方が分かりません。

私の文章の欠点は、「くどい」、「長い」、「ちょっと不明な点がある」、
「乱脈」だと思います。
繊細な機械の性能を好くしようとして、油をさしすぎてその油が固まってし
まってギトギトしてしまっている。
ですから内容もオドロオドロした違和感が残り、爽快さに欠けているのでは?
短い言葉や文で完結する、そんなものを書いてみたいものです。
詩人か俳人になったつもりでやればいいのでしょうか?難しいですね。

いやいや、何だかんだと今日も長々とやってしまった。
本来ならば下書きとして、文章の順を入れ替えてアップするのが本当だろうが、
実は今日は睡眠薬向精神薬を多めに服用しながら睡魔と闘いながら書いてい
るのです。
ひょっとしたら明日になれば、この日記を書いたことの記憶もないかもしれま
せん。

あまり意味のない日記だったかもしれないが、暇で暇でどうしようもない時間
つぶしと、日ごろの皆様への感謝の気持ちを綴りたかったのは事実です。

ご容赦下さい、全読を感謝します。

160220(89) H22 3月27日 AM5時5分