指導者なら言ってみろ

イジメを苦にして自殺する若者の報道が多い。それに対し指導するべき
立場にある者の愚かな行動に批判の目がむけられ世間が騒いでいる。
最近では自殺をネタにした嘆願書までが大臣に送りつけられその対応を
TVのニュースで報道しているが、まったくどうかしていると思わない
だろうか?
「とにかく死ぬな」「もう一度命の重さを」
こんな言葉が通用するほど自殺者は甘い考えではない。すでに死を覚悟
する段階で何度もそのことは本人が反芻してきただろうし、度重なる
イジメの度に追い詰められ生きてゆく苦しさよりも死んで楽になりたい
から自殺を選ぶのだ、病気でもない限り突発的に自殺しようと思う人間
などいない。そして死に追いやられるまでには、恐ろしいまでの恨みを
抱いているだろう。
指導者は自殺願望者に対し
「イジメた奴等に復讐してやるから」ぐらいの言葉を投げてやらなけれ
ば自殺者は減るものではないだろう。
自殺願望者は死ぬ方法か、復讐方法しか考えてないものだ。そしていか
に自分が哀れで理不尽であるかを遺書に残すものだ。一命をもって遺書
に復讐して被害者になったつもりでいるのだろう。だがそれは間違いだ
。自殺することにより、遺書に書かれた当事者や残された者にとっては
立派な加害者とならないだろうか?
イジメは現代だけではない、どの時代にもどの社会にも必ずある。
元々の原因を思い出してみろ、イジメられる原因があったはずだ。
イジメられて被害者になる前に、イジメる側に対し不快な思いをさせて
いただろう、自分が気づかなくとも相手に不快感を与えていたのだ。
好意好感のある者をイジメる者はいないからな。
それに気づかないで一方的に被害者だと思い込んでしまう者は最終的に
死を選ばざるより仕方ない状況になってしまうのだ。はじめは自分にも
悪いところがある加害者であったという反省、この反省するという事に
気づけた者には同情や支援者もでてくるものだ。
つまり指導者は被害者にも反省をうながす機会をつくるべきなのだ、イ
ジメの因果関係を知るべきなのだ。それをせずに、起きたことばかりに
気をとられ、報道に煽られ醜態を晒しているようでは話にならない。
「死んだら全て終りじゃないか、どんな形であれ生きて世にでれば復讐
の機会もある、自分でできなけりゃ人を雇えばいい。その為には金が
必要だぞ それなら必死に働けばいいじゃないか」
ぐらい言える指導者はいないのかね?
復讐心で一生懸命働くうちに、復讐するなんて小さな事よりもっと素晴
らしいモノに出会えるだろう。
それを知っているのが社会の大人なんだから嘘も方便だと思うな。
実際に現在の日本があるのも、戦後敗戦(世界中からイジメられていた
)の中から悔しさと悲しさを乗り越えて生きて頑張ってきたからじゃ
ないのかな?
イジメ云々の前に教育者は真の教育をしてほしいね。
弱者をかばうのは正しいが、甘えられるのは社会にでる前までだしな。

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