連休疲れ

連休も終わり、いよいよ初夏もスタートと思ったら寒かった。
いきなり出鼻をくじかれてTシャツ一枚じゃ風邪ひきそう、おまけに雨
まで降ってきた。ということで、外に出るのはやめにして部屋でゆっく
り日記でも書くことにした。
5日振りにパソコンに向うと目が疲れる、指も動かない、何を書こうか
思いつかない。
休憩して将棋でもして書く。

PM4時
ああ今日もこのまま終わるのかな?まあ今日は連休疲れのおまけ休みと
いう事にしておこう。
最近映画の影響か、ダビンチの話をよく聞くので天才について思いつい
た事を書いてみよう。
ダヴィンチが正式なんだろうが、打ち込みが面倒なのでダビンチとする

あれは天才だな、未来の人類像とでも言った方がいいかもしれない。
多くの分野で先覚者として知られている、絵画に於いては そのタッチ
を未だに真似るのさえ至難の業とされている。他の分野は概解明、また
は新発明により旧式とされている。
この事から何を求めようとしているのか?
先述した「未来型」人類像を肯定したいのだ、今でこそ科学、天文学
解剖学、建築学などは現代人の知識が勝っているが、一昔までは絵空事
と思われていた。つまり天才は凡人に理解されないところにその才があ
り、知識を得た凡人によって初めて評価されるものだからだ。
では現代人はダビンチを超えているのか?否だろう。ある分野では超え
ているがマルチではないからだ。
私のような凡人がおこがましいが、こんな私でさえ今の知識をもってす
れば過去の歴史では天才とされるだろう。ダビンチは早く生まれすぎた
人とも言えるし、人類の未来型とも言えるのではないだろうか?
旧文明の壁画を見て、「芸術的だ」と思える人は少ないだろう、私にも
子供のいたずら書きにしか見えない。でもそれらは当時の人々が神に捧
げた傑作だったのかもしれない。
絵ひとつとっても、人類は進歩している事が解る。
時代の中で、特別に際立って優れていれば天才と呼ばれ並であれば凡人
とされるのが世の常ならば、将来の人類にダビンチのようなマルチな人
が多く存在していて欲しい。そのように人類が進歩してくれれば未来も
明るい。

50335                PM5時15分