大事なのは何か?

いよいよゴールデンウィークに突入した。
天気の日に秩父あたりに両親と芝桜でも見に行こうかと予定している。
山梨の別荘にも、船釣りにも誘われてるし、福島からはハマちゃんも遊
びに出てくるらしいし・・・晴れの日と金がないのは困りもんだ。
「渓流釣りへ行きましょう」って人もいるんだけど、なかなか手が廻ら
ない。他からもお誘いがあるんだが、5月は私の一番好きな趣味の皐月
が最盛期をむかえるので時間までなくなりそうだ。仕事の方も新たに師
から確定した仕事を頂いたので、遊んでばかりいられなくなりそうだ。
師が一生懸命仕事をしているのに弟子の私が遊んでいては申し訳ないし
私自身仕事も遊びと同じくらい好きだから、どちらも両立させるいい方
法はないか検討中である。
ある人は「仕事なんて遊びの中から出てくるもんだろ?」と言ってくれ
るが、それは金のある人の言うセリフ 私にはまだ、そこまでの余裕は
ない。
遊びといえば、最近外で遊ぶ子供の数がめっきり少ない。出生率が減少
している事情はあるだろうが、それ以上に少ないだろう。その証拠に休
日ともなれば、「何処にいたの?」と思わんばかりの子供たちが公園な
どで遊んでいるのを目にする、ただ子供たちの傍には、その数と同数の
保護者たちもいるわけだが・・・妙な事件が頻繁に起こる昨今なので仕
方ないとは思うが異常な前触れを感じるのは私だけだろうか?
親の目の届く範囲で遊ぶという事は、子供にしてみれば常に親の監視の
もと遊んだフリをしているという事だ。子供にとって大切なイタズラは
何時何処でするのだろう?子供はときに残酷で意地悪なものだ、だがそ
れは人間の成長過程に於いて大事な経験値となるのだ。将来を考えれば
失敗も必要な事であるのだ。親の心配と自己満足で育つ現在の子供たち
に事故は少ないだろうが、将来の懸念は増える一方だ。
男の子を例にとると、ドロ遊びや虫取りをし小動物を虐待しながら命の
尊さを学んでゆくものだ。小動物の命を奪う反省から、将来の勇気、正
義感、逞しさは培われてゆくものだ。虫も殺せぬ優しい子であってもい
いが、それは前者の行為を実際に見て自覚するもので軟弱とは本質的に
違った勇気なのである。それらの個性を本当に保護者である親の目の前
で子供達は発揮できると思えるだろうか?きっと無理だろう。
子供だと思っていたら大間違いだ、子供は子供なりの知恵を持っている
ので、本能的に自分の性格を隠そうとする。つまり抑圧された幼少時代
は捻くれた大人の養成期間となってしまうのではないだろうか?
重犯罪の低年齢化が近年増加する傾向にあるが、今後もっと加速するで
あろう。それは上記の要因からも安易に想像できる事なのだ。
「仕事なんて遊びの中から出てくるもんだろ?」確かにそうだ。
仕事だけではなく、正常な感覚、判断力も遊びの中から学び身につける
ものではないだろうか?
狂人は「狂人であることに自覚してない」ところが怖いところである。
重犯罪を犯して捕まる殆どの者は、その生い立ちに問題があるとのデー
ターもある。そして捕まった者は氷山の一角であり真面目な皮を被った
心の犯罪者も多く潜伏しているのは事実である。
その割合を少しでも少なくする本当の教育こそ、イタズラの失敗であり
叱られる事なのだ。いいか間違えるなよ 「怒られる」と「叱られる」
は大きく違うからな。
怒られれば失敗を隠そうとするが、叱られれば反省するものだ。
重々心しなくてはならないのは、子供の失敗を如何に咎めるかが保護者
の使命だという事だ、つまり子供が失敗してくれなくては咎めるチャン
スもないんだぜ。
自分は正しい子育てをしている「つもり」かもしれないが、正しかった
かどうかその答えが出るのは何年も先の話だけどな。
頑張ってくれ、日本のお父さん!お母さん!

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