泣いているのか?

小金井市まで桜を見に行ってきた。
途中、武蔵境駅の近くにある桜堤団地の花見を兼ねて。桜堤の桜は地名
の如く随所に桜の大木並木がある穴場的存在だった。10年前近所に住
んでいた事もあり、バス停の傍に小さく分球したチューリップなどの球
根を植え、毎年訪れては「どうなったかな あの球根は?」などと、
観察するのも楽しみの一つだった。10年前小さかった球根も2,3年
前から花を咲かせるようになり、ちょうど花見の時期に見に来ては、「
来年は幾つ咲くかな」とか「こんな水仙植えたっけ?」などと10年前
の記憶を辿り、懐かしさの中で花を愛でていた。
ところが今日「その場所」へ行ってみると、その場所は架橋工事の足場
となっておりアスファルトが敷かれていた。
桜堤団地も老朽化で取り壊され、多くの桜が切り倒されていた。団地の
新設計画は知っていたが、いざ現実を目の当たりにすると「嘘だろ?」
みたいなショックを受けた。この感覚はそう、私が少年の頃 日本の高
度成長期時代に近所の野や山が切り崩され、自然がどんどんなくなって
ゆき「何か大事なモノを失ったぞ?!、遊び場がなくなる・・」、とい
う子供心にも感じた漠然とした失望感のような、あの感覚と似ていた。
4月1日だと言うのに、嘘のような現実なのだ。
私の父は転勤族だった、だから私には故郷と呼べる場所が無い、幼馴染
と呼べる者も存在しない。唯一自分の記憶の中にだけ故郷があり、現在
進行形でないと人でさえ信じない。その寂しさがあるから「嘘を言わな
い」植物を愛するのだ、私にとって植物とは友に近い存在なのだ。
その思い出の植物を無残にされるのは、たまらない気持ちだ。
春の青空に満開の桜を見上げると、クラッと目眩がした。ハラハラと風
に舞い落ちる桜の花びらも、桜が泣いている涙に見えた。

47165(136)            PM7時35分