目を閉じて

心に迷いがあるのなら、試してみればいいと思う。
人間は平素、何事も無く過ごしていると習慣というものに誤魔化され
本来の自分を見失っている、習慣や周りに対する警戒で、それを本来
の自分だと勘違いしてしまっている。だがどうだろう心が弱っている
今なら正しい選択が出来るものだ、見栄も警戒もいらない世界なら、
本当の自分に出会えるだろう、何故なら今まで頼ってきて、また大事
にしていたものに、またその生き方に疑問を感じているからこそ心に
迷いが生まれるからだ。
こんな時は話をしてはいけない、感覚で判断するのだ。まず自分の好
きな事を思い浮かべる、そして迷っている事を思い浮かべる。その時
違和感がなければ、それはあなたにとって正しい事だ、少しでも嫌な
感覚があれば避けるべき事柄だ。その決断は寝る前よりも朝起きた時
の方がいいとされているが、私は何時でもいいと思う。その前に対象
に対する豊富な知識を要する、過去の実績や現在の状況を把握したほ
うが安心するからだ、但し過去は過去、現在は現在、今からやろうと
しているのは未来の事ではないのか?参考になる程度でしかないから
、あくまで自分の感覚を信じるといい。これを「心眼」という。心眼
でものをみるのは難しい、だが心眼でみたり感じたものに嘘はない。
「信じていたのに」などという愚かな言葉があるけれど、騙される前
に信じなければいいだけの事ではないか?信じなければ裏切られたと
も感じないし、心の痛みも少ない筈だ。無味乾燥な人間になれという
のではない、出来る限りの洞察力と心眼で常に心を研ぎ澄ましておけ
ばいいのだ。心眼も使わねば錆びる、金や名誉や過去の実績に頼ると
心眼はなかなか難しいものだ、だが心の弱っている今ならきっと出来
るだろう。私も時々、面接や撮影の時これをやる 私の場合まだまだ
100%にはならないが、かなり高い値で人を見抜く、見抜いた人間
が私の元を去ると「予定通りだな」と思うし、そうでないと失恋に近
いショックを受ける、きっとこれは誰にでもある「第六感」というも
のだろうが、私の場合 心が弱っている時は外れた事は無い。