ブログマダム

先日TVで「ブログマダム」という言葉を耳にした、最近ブログにハマる
主婦が急増しており、その主婦を取材したドキュメント番組だった。
何故ブログを?との質問に 寂しさ 孤独感 ヒマだから 喋り相手が欲
しい そして主婦業は評価をしてくれる人が少ない との理由があった。
確かに、今時の若い主婦たちの切実な願望だろう 特に人間関係の希薄な
現代社会の鬱憤であると解釈する相当な理由かもしれない 正直な答えで
あったと思う。しかし同時に精神年齢の低下が浮き彫りになったと思わせ
られたのも否めないだろう、別に悪く言うつもりではなく社会全体がそう
であるから仕方ないのだ、精神的に皆飢えていて満たされてないという現
代社会の問題点であるからだ。例えば「主婦業の評価」を例にとってみれ
ば、主婦業は元々評価される為にあるのか?いつまでも学生気分や競争社会
にいる気分で他人の評価を期待しているようでは、まだまだ子供だな、結婚
生活を維持している事自体が、それだけで充分な評価である事に早く気付い
てもらいたいものだ。家庭を守れているだけで合格なのだ、特に子供がない
のに守れている夫婦は素晴らしい、お互いに相手を認め合い信頼していると
いう最上級の合格点である「愛」があるからではないか。私からみれば個々
の家庭にどのような問題点があろうと家庭を維持している事のほうに評価を
したい。 「家庭一つもまもれずに」と、世間ではよく言われるがまったく
その通りだと思う、私も含め離婚する夫婦が多いが それはどちらか或は、
両方に欠陥があるからだ、だから離婚した人間は「欠陥人間」の視線に曝さ
れる、俗に言う社会的制裁だ また愛すべき人を失い、傍にいる筈の人間が
いない寂しさは絶筆ものだ、それに比べれば「主婦業の評価」など悩む問題
ではないのでは? むしろ「やって当たり前」として受け入れ、より専念し
たほうが充実感もあり良き思い出になるものだからね。
私の元妻は仕事のできる奴だった、でも家事は殆どせず家庭料理の記憶も殆
どないぐらいだ、そんな奴でも掃除だけはマメだったな あいつを思い出す
時、いつも最初に頭に浮かぶのは あいつが掃除している姿だよ。
20年前に亡くなった私の祖父も祖母とはあまり喋らぬ人だったが、死後に
祖父の机を整理していると出てきた手記に 「陽の中で 掃除する 妻の顔
桔梗の花より 美しきかな」との短歌があった。
※身近な人は、満足してればいちいち「評価」など口にしないものさ。