その気になって3

私は会長の運転手も兼ねていた。
運転中も会長はうるさい、くだらない事でいちいち私を
怒鳴る。だがその怒鳴り声もその日の私にとっては私の決意に
拍車をかけるだけであった。
私の決意とは、《こいつに一泡ふかせてやる》だった。
会長の車はベンツ560SEL 買い換えたばかりで1500万
だったと聞いていた、車内には当時まだ珍しかったテレビが備え
てあり革張りのシートの後部座席でふんぞり返ってどこかの女と
デートの約束をしている。会長は自分の娘ほど年の離れた女を、
10人以上かこっており、どの女もいい女である事も私が気に入
らない理由の一つだった。
また会長が訳の分からないことで私に怒鳴っている、たぶん女の
ことで不都合でも生じたのだろう、そんな時いつもやつ当たりを
するからだ。
私は東関道の直線で一気にアクセルを踏み込みスピードをあげた
250KMを超えメーターを振り切ろうとしていた、その時も会
長は「運転が未熟なくせにスピードを出すな!」と怒鳴っていた。
だが私はスピードを緩めなかった、視界のはるか先にはインター
の出口待ちなのかハザードを点滅させた車の列が目視できていた。
私はそこへ目掛け直進していった、正直なところ怖さもあった、
そのまま私も事故死するかもしれないからだ、ほんの少しである
が特攻隊の気持ちが分かったような気もした、バックミラーに写
った会長の顔も蒼白だったのが心地よかった。みるみる近づく停
車中の車・・・あとは一瞬だった。
激突の瞬間、白い煙が車内に充満した。エアーバックのおかげで
私は手首のねんざと爪が2枚剥げただけだったが、会長は車内の
テレビにもろにぶつかり、血だるまになってうめいていた、肋骨
も何本か折れたそうだ。
救急車で病院に運ばれた私達は、病院で警察に事故の事情を聞か
れた。私は「スピードの出し過ぎだ」と答え後に免停6ヶ月の単
なる交通事故としての処分となった、殺人未遂や傷害として逮捕
されなくて助かった。
この一件により私はめでたく解雇となり、会長からの殺人依頼も
自然消滅していった、計画どうりとなり私は満足だった。
この話は私が22歳の頃の話である、今にして思えば血の気が多
かったのだと反省するが、アウトローの世界には今でもそういっ
た者が大勢いる、私は今でもそういう気持ちになる事がある、慎
重に生きなければならないと思っているが、私の心を無神経に
踏みにじる奴が時々いる、そういう奴をどうこらしめるか、或い
は相手にしないべきか、未熟な私は悩む。