再教育

将来を担う若人にピリッとした緊張感を感じないのは私だけだ
ろうか? 全体的に緩んでいるというか無気力で覇気を感じな
い若者が多いように思う。
現代は精神論でものをいう時代ではないと思うが、若者の眼つき
や口元にだらしなさを感じる、喋るとそれが確信に変わったとい
う実体験は私でなくともあるだろう。言葉についてはどの世代で
も言われてきた事だろうし、流行言葉などがあるから逆に自分が
年をとったのだなと理解すればよいが、目つきや身のこなしが
だらしないのは将来の日本にとって由々しいものだ。
これは教育に起因すると思う 子供の頃「気お付け、倣え!」の
号令は背が低い順だった、私の前の世代は背が高い順だったそう
である。これが何を意味するかというと号令をかけ者に近い方が
緊張感があるという事、つまり緊張感をもって生活できる人間に
なれるのは昔は背の高い人、私の時代では背の低い人だった、時代
背景もあり古い時代の人のほうが緊張感があるのは判るが現代の
若者はあまりにも緊張感がなさ過ぎるのではないか?
この原因を確かめたかったら小学校の授業参観へ行くといい、
目を疑う光景や、耳を疑う会話に出会うことができるはずだ。
日教組の勘違いな方針により、教育はその姿を大きく変えてしま
っている。おざなりな教育は過保護と放任主義を生ずる、古参の
教師は翻弄され熱血漢といわれる教師も殆ど皆無である。そして
「これがあたりまえ」と思って育ってゆく世代の若人に我々は
将来を託さねばならないのである この現象に業を煮やした実力者
たちはやがて若い世代の再教育をしようとするだろう 極端な例
では戸塚ヨットスクールオウム真理教がそうだ。
傍からみて被害者に見える彼らだが、彼らに被害者意識は薄い
それは再教育の成果ともいえるが、実は彼らが望んでいた事なので
はないだろうか、彼らは教育に飢えていたのではないだろうか
そして現代の若者たちも教育に飢えている筈だ、それは私が撮影
で感じるのだが私が威圧的な言動で攻めたり、高圧的に指導して
も撮影終了時には「こういうの初めてだったけど好き」と言われる
からだ。甘いものばかり食べるとピリッと辛いものを食べたくなる
のだろう。現代の若人の良いところ、それは「非常に素直」である