飯前の思考

沖本会議が始まってしまった。
沖本会議とは、自分の中であれやこれやと際限なく、
文章では書ききれない様々な事を自問自答している事。

例ー自分を例えるならどんな花か?

自分ではよく解らないが、たぶん他人と少し違う感性の持ち主。
それが良いとか悪いとかではなく、何となく疎外感を感じるから。
基本的には孤独を愛し、かといって宴会も好き。
都会の雑踏や猥雑な空間に、ひっそりと隠れていたいような奴。
密林のジャングルで、大きな樹にへばりついて寄生しながら
半日陰で生活したいくせに、時々は日に当たりたいと思っている。
そんな奴だとすれば蘭の種類になるのだろうか?
でも蘭のようには丁重には扱われてないな。
きっとそうだ、誰かが新種の蘭をジャングルから持ち帰った。
蘭は、ここぞとばかり自慢の花を咲かせてみた。
ところがその花は、それほど大衆ウケしなかった。
むしろ嫌われるような色の花だった。
だから蘭は思った、環境が良くないよジャングルに帰りたいと。
でも蘭はもう戻ることの出来ない橋を渡っているのも知っていた。
それならちっとは栄養も摂らなきゃと、葉をひろげてみた。
すると蘭の持ち主は、葉が邪魔だからと葉を切り捨てる。

盆栽や庭木の好きな私は、鑑賞だけではなく手入れもする。
世界に誇れる日本の盆栽技術は、一本の樹を美術品の価値にまで
高めさせる。
そう評価されれば、樹も喜んでいると思うのが人間のエゴ。
樹にとっちゃたまったもんじゃない、
どんなに優れた樹形であっても、それは人が良いと思っているもの。
樹からすれば、奇形、カタワ、
「もっと自由にさせてくれ!」と、口があれば言うだろう。
そんな残忍な趣味も、人間界では高尚な趣味といい私も好き。
品評会、展覧会なんてあるけどさ、
あれは、自分がどれだけその木を殺さず生かさず我慢させ、自分の
思いどうりに育てましたっていうエゴの競演なんだよ。
「いかに自由に育てました」ではなく
「いかにエゴで管理しました」って事を評価するのが人間。

食品界の不正事件だっておかしいと思わないか?
ギョウザの件は別だけど、
牛乳やアンコを再利用して何が悪い?
誰に迷惑掛けたと言うんだ?
よく考えてみりゃ、賞味期間の設定がおかしいだけだろ?
国や世間や今の常識が、どうしても非を認めたくないだけだろ?
世界は食糧難に直面して、飢えて死ぬ子供も多いのだぞ!
食品を再利用していた事自体は褒められる事ではないのか?
何故もっと叫ばなかった?
何故世間は当事者を袋叩きにした?
何故その推移をみて黙っていた?
金が絡むと全てが悪になるのは何故だ?
「これからは捨てます」なんて・・・それこそ間違いじゃないか?
再利用の方法をもっと検討すべきじゃないのか?
そういう疑問に気付くお偉いさんがいないのは何故だ?

などなど・・・
朝からくだらない妄想ばかりしていて朝飯を喰うのも忘れていた。
一人でいると、こんな事ばかり考えていて、
それが延々と続いていて、寝れなくて、
それを2Fの住人の足音のせいにしたりして、
だからやっぱり自分はちょっと変わっているのかな?
とか、変わった感性の持ち主かな?と思ってみたりして、
まったく困った奴なんだな〜って事は自分でも分かっているつもり。

当分沖本会議は続くので、
書ききれないのでもう終わります。
僕はボケ〜としているように見える時は、いつもこんな事を
考えてます。

104469  14日    PM1時20分